2010 年 1 月 11 日

大正6年「東京奠都50周年記念東海道五十三次駅伝徒歩競争」
京都の三条大橋から東京上野の不忍池まで516kmを3日間で繋ぐ。
駅伝の始まりと言われ、
古くは日本書記にも出て来る「駅伝貢進」から由来して、とも言われている。
現在でも明確には分かっていないらしい。

箱根駅伝の起源はアメリカ大陸横断を目標に掲げ、その為の選考会として箱根駅伝が始まったと言われている。
何故、東京・箱根間になったか?
アメリカ大陸横断にはロッキー山脈を越えなければならない。
ロッキー山脈は山岳コース。
山岳コースは何処か、ないか? ということで、天下の剣・箱根に白羽の矢がたった。

今年86回大会を迎え、数々の名場面を残してくれた。
中でも城西大学のシード権獲得が記憶に残った。
昨年8区での途中棄権からの城西大学初のシード権獲得。
箱根駅伝を走れる大学は19校しか許されない。
内、10校はシード権がある為、残り9つの椅子を年間を通して争う。

城西大学 石田亮。走れる事自体が名誉な大会で昨年、彼はレースを棄権をした。
誹謗、中傷は当たり前に受けるだろうし、屈辱や重圧。
襷(たすき)を途絶えさせてしまった。という罪悪感から駅伝を辞めたくもなったと思う。
大手町で待つ仲間に謝りに向かうと寮の同部屋で一つ先輩の高橋優太が
『大丈夫だよ。お前だけの責任じゃないから。大丈夫。来年頑張ろう。』と慰めた。
石田は言う『いいよ。いいよ。と責められないで安心はしていたが心の中では全部自分が悪い。と思っていました。
相当苦しかった。辞めようかなと思う時もあった。』
そんな、どん底の石田を救ったのがキャプテンになった高橋優太であった。
高橋は言う『私生活が乱れたりとかそういう所は注意したりして、後は石田自身が自信を付けていけばいいと思う。』
そんな高橋の励ましに石田は応えた。
昨年、10000mで1分もタイムを縮めた。

迎えた今年、高橋は花の2区で9位の力走をし、石田は区間2位の記録で今年は仲間に襷を繋いだ。

石田は言う『優太さんがいなければ自分は成長しなかったと思う。
たまにきつく言われる事もあったけど、自分の事を思って言ってくれたので
凄く嬉しかったですし、凄く感謝しています。』

昨年、石田が途絶えさてしまった襷に続きがある。
その後9区を走った伊藤一行が区間トップの記録を残している。
勿論、襷は途絶えているわけだから幻の区間賞である。

今年OBになった伊藤は言う。
『自分の走りで後輩達に何か伝えられる事があったかな。と思って
あんな走りをしたんですが、本当に伝わってて良かったです。』

繋ぐのは目に見えている襷だけでない。という事を改めて教えて頂いた大会であった。




己を信じて、己に克つ。

今年の箱根駅伝のポスターに記された言葉である。


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