病巣

2011 年 6 月 16 日

 3月11日大震災が起きたあの日、公衆電話に行列が出来、携帯電話も通じず、発信ツールで唯一といっても過言ではない情報網が存在した。

 Twitterである。
 私も昨年のワールドカップ南アフリカを機に始めたのだが、大震災が起きなければ現在の様に覗くことも呟くことなどなかったであろう。

 岡田康宏氏のTwitterで拝見したもので面白く、心温まる記事を拝見する。
 http://supportista.jp/2011/06/news16091933.html

 「フットボールサミット第3回」のアマゾンレビューを掲載したもので「無給のスタッフ=ボランティアによる社会の本質的な変革」とある。
 大震災がなければ集う事が決してなかったであろう人々が手を取り合い、助け合っている事実に深い感銘を受ける。

 本文に『東日本大震災のボランティアで印象的だったのは「Football saves Japan」の活動でした。様々なクラブのサポーターが集まって、ベガルタ仙台に対して緊急物資輸送を行い、その後もヘドロ処理などを継続的に行ったというものです。こうした活動には強い「直接民主主義」のパワーを感じました。』とある。
 サッカーを愛し、思いやりという言葉が陳腐に聞こえる位に超越した愛情ある行動を行う方々に昨今希薄になったとされる日本人の隣人への接し方を踏まえると嬉しく思うと同時に古き良き時代と呼ばれた過去を思い出す。
 私の故郷では、町の人々とすれ違えば挨拶をするのが当たり前だった。その行為自体が当たり前であったし、疑うことすらなかった気がする。
 現実は違う。
 いくら歳を重ねても故郷に帰れば挨拶や会釈を交わすのだが、現在自分が住んでいる東京という場所ですれ違う度に挨拶を交わそうものなら少し変わった目で見られる事はほぼ間違いない。
 しかし、近所の人とはお土産など郷土の食べ物を贈り合ったりしている。
 その行為自体を偏見の目で見る人も確かに存在する。そんなつまらない事を考える人はちょっとした都会で伝染する流行りの病に侵されている様に思う、きっとニュースなどを見て得た知識なのだろう。
 しかし、そのニュースを見て知った知識もそのニュース自体を生み出しているのも人間。愚かな人間と蔑むのは勝手だが愚かな人間を生み出したのも、また現代社会なのだという事を忘れてはならない。

 何事も人は事件が起きて始めて知識を得る事が多い。
 姉歯事件、賞味期限切れの食品を書き換えて売り出したり、食肉偽装など人の気持ちにもなれず、利益のみを優先した愚行が人々の記憶に残る。新たな事件が起こりやがては風化し、忘れ去られる。
 私は原発事故があって始めて、東電幹部の贅沢も堕落も知り得た。世に人災と責められながらも変えようともせず、天災と決め込み我々消費者の生活を圧迫しようとしている。無論、許されるべきではないし、これからも風化を許されるべき事実ではない。

 人間には治癒能力という能力がある。
 擦り傷を負えば、必ず膿が出る。詳しくは解りかねるが膿の成分には自身の体液とバイ菌が入っているそうだ。体液が擦り傷を覆い、やがてカサブタを経て皮膚を作る。
 多くのバイ菌を含んだ膿は当然出すべきである。バイ菌が外部から侵入して来た存在ならば持てる治癒能力さながらに我々も断固戦うべきである。内部に存在し続ける寄生虫が妥協を許そうとしても断固戦うべきである。

 何事も宿主の改善が急務に思う。

 Twitterは「言論の自由」の思想を汲んだツールと聞く。
 だからと言って何でも書いて良いわけではない筈。新たな情報を得たり、小さな喜びを得たり、笑えたり、感銘したり、大震災の混乱時も人と人を繋いだツールなのだからそんなツールであり続けて欲しい。


コメントをどうぞ