質実剛健

2011 年 2 月 7 日

誰の人生にも分岐点がある。
その分岐点を生かすも殺すも、その人自身の力量と少しの運が左右する、と私は考えている。

インテル移籍が決まった時にツイッターなどで明治大学時代にスタンドで太鼓を鳴らす青年の写真が添付されていた。
後の長友佑都その人である。
数年前まで大学レベルの選手としてピッチにも立てず、スタンドで太鼓を鳴らしていた選手が世界一のチームの一員として後半30分にピッチに立った。
快挙に思うと同時に同じ日本人として誇らしくもあった。
2007年、当時U-22日本代表を率いていた反町康治監督が北京五輪二次予選第5戦終了時点で最終予選進出を決めていた為、第6戦のマレーシア戦は消化試合となっていた。新戦力を発掘するために多くの「新人」を代表選出した。この試合では右サイドバックで出場し、突破からの先制点に加えPKを獲得するなどの活躍を見せた。
この活躍が認められ、発掘された新人からレギュラーの座を掴む。北京五輪では選手登録が18人しか認められない為、選手には先ずユーティリティさ、が求められる。故にスペシャリストより、より多くのポジションをこなせる選手に目がいく場合が多い。
長友の様に左右両サイド遜色なくプレー出来る選手から先に選出される。スペシャリスト故に落選した選手も能力次第では将来、日本代表に選出される選手もいる事から五輪代表落選からも目が離せないと言っていいだろう。
その後、フル代表、ワールドカップ予選、ワールドカップ全試合出場、海外移籍、アジアカップ制覇、強豪クラブ移籍と長友は俗に云う「成功への階段」を登って行く訳だが、ローマ戦を観た上で課題も多い。
味方がボールを持った時の駆け上がり、クロスの質は申し分無いのだが、自身がボールをキープした時の展開力が長友の今後を左右すると言って良いだろう。
現代サッカーの攻撃は「サイドバックがゲームを作る」と云っても過言ではない昨今。何の大会でも制覇を成し遂げたチームには攻撃の起点になれるサイドバックが必ず存在する。
長友が優れたドリブル突破を武器に戦ってきたのなら、物足りないパフォーマンスのデビュー戦だとは思うが、長友という選手は使われるタイプの選手。無尽蔵で激しいアップダウン、裏のスペースに走る事を信条としてやって来た選手なのだから上々のスタートを切った、と言っていいだろう。
今後、宝石やダイヤの結晶の様な選手の中でプレーし、練習する長友。
使われるタイプの選手が、起点となり、使うタイプに変貌したのなら、長友にとっても日本サッカー界にとっても、と期待してしまう。
出場機会のなかった前節のバーリ戦でキャプテンのサネッティからお辞儀のポーズをして貰うなど、人間性は認められつつあり、テレビ越しだが、コミュニケーションの部分では上手くいっている様に伺える。
試合の中でもボールが回って来たところを見ると選手として扱われているのだろう。

与えられたチャンスを生かし、飛躍し続ける長友佑都。
サッカー界のみならず多くの日本人の希望になりつつある。

一部メディアで「長友サン・シーロデビュー」とされていた。
正しくは「長友スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァデビュー」である。今後なかなか来ないであろうこの機会に是非学んで頂きたい。


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