猿真似

2010 年 12 月 14 日

物事を上手くなりたいのなら、何事も真似から始めると良い、と云われている。

誰もが、好きな選手の映像を繰り返し観たりすると思う。
イチローが好きな野球少年はイチローの真似をし、リオネル・メッシが好きなサッカー少年はメッシの独特なボールタッチを真似し、クリスティアーノ・ロナルドが好きな少年はフリーキックの練習では必ず彼の代名詞的な立ち姿で助走を取る事に思う。
これはスポーツに限らず、作家を目指している人は好きな作家の本を繰り返し読んだり、勉強の為に描写する人までいる。
若いミュージシャンも憧れのミュージシャンがいて、歌い方や仕草や癖まで真似してみたりする人もいる。
天才と云われている、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも人の真似が大の得意だったという逸話を聞いた事がある。

人の真似をする行為を、私は否定するつもりは全く無い。

憧れを抱き、少しでも近づきたい、と思う気持ちで真似をする行為は純粋で美しい事に思う。
しかし、残念な“真似”もある。
草サッカーにおけるコーナキックの際の競り合いは年々いや日々、醜い小競り合いが目立つ。
相手のシャツを引っ張ったり、競る前に軽く突き飛ばしたり、といったプレーはプロでは当たり前のプレー。
それはあくまで“プロでは”の話である。
草サッカーはアマチュアの試合であり、プレイヤーは決してプロでは無い。
しかも大の大人が醜いプレーをする。
相手を罵倒したり、威圧したり、故意に削ろうとする。
そういった輩の中で最も最低なのが謝罪を込め、差し出した握手すら無視する輩だ。
一度、試合中に呼び止めた事がある。
すると、彼は『イライラさせ平常心を失わせるのもサッカーだ』と。
ここまで来ると開いた口が塞がらない。
きっとプロになったつもりでいるんであろう。
おめでたく、未熟な人間に思う。
草サッカーには初心者、プロになれなかった者、プロにはなったが続けられなかった者。
大きく分けて、この3つのカテゴリーが会社や社会を介して集まってチームを結成する。
理由は簡単「サッカーが好きだから」に思う。
言ってみれば同志だと言っていい。
同じチームを愛するサポーターかも知れないし、間違い無く代表戦はテレビ観戦をするだろう、ひょっとしたらスタジアムにも行く事だろう。
何より、サッカーをする事が仕事では無いのだから、試合の翌日は仕事がある。
故に心身ともに決して傷つけてはならない。
そういった気持ちでプレーして貰えたのなら、もっとサッカーというスポーツの底辺が広がる事に思う。

草野球の試合でホームを目掛けたクロスプレーでメジャーリーグの様にキャッチャーに思い切りタックルする選手を私は見た事が無い。
そういったプレーの愚かさは承知であり、何より「猿真似」なのだと理解しているのだと思う。

日本において野球の方がスポーツの歴史は古い。
スポーツマンとして、野球をプレーする者の方が大人なのかも知れない。

今年も終わろうとしている。
来年は、プロもアマチュアも握手の多いサッカーの試合を期待したい。


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