飢餓

2010 年 11 月 28 日

年配の方と話をすると不思議と相撲の話になる。
『◯◯は強かった』
『◯◯の相撲こそ横綱相撲だったなぁ』
ライターの先輩に限らず、蕎麦屋の親父さんと話をしていても相撲の話題になる。
相撲は我が国の国技であると同時に古より伝わるスポーツである。
そのスポーツを話題に世代の垣根を超えて話が盛り上がれる相撲の存在は私から見ても眩しく見える。
私の記憶にある大横綱は千代の富士の他にいない。
詳しく分からなくとも強き者であったのは疑いの余地は無い。
以後、若貴兄弟の活躍もあり相撲人気は一生続くものだと私は考えていた。
しかし、外国人力士の参戦により近年は日本人力士から横綱を生み出していない。
興味深い話をある力士と親交のある先輩から耳にした。
『もう、日本人から大横綱は出ないんじゃないかな』というもの。
理由を尋ねると興味深い返答を聞けた。
『昔は相撲の世界に入るきっかけなんて飯が沢山食べれるから相撲部屋に入門するんだよ。
何処の家も食べる物が満足に無いから腹を空かした腕っぷしに自信のある若者が相撲部屋の門を叩くんだよ。
要はハングリー精神みたいなもんが今の子とは全く違うんだよ。
食うもんに困る奴なんていないだろ?』
というものだった。

ハングリー精神。

ベネズエラの子供達がプロ野球選手になることを先ず夢に抱き、段ボールでグローブを作り、辛うじてバットに見える木の枝で野球をして遊んでいるVTRを見た事がある。
サッカーに至っては南米に限らずのアフリカ大陸の多くの若者は金持ちになる為に、家族を養う為にプロサッカー選手になろうとする。
故に国際試合という舞台の難しさが出て来るのだと私は考えている。
それはそうだ、勝利に対する欲求が豊かな国とは全くと言って良い程に違う。

我が国は国債が何百兆あろうとも他国から見れば富める国。
しかし、南アフリカワールドカップ然り、広州アジア大会然り、全く期待されないチームに限って耳を疑う様な結果を残す。
選手の口々から『何の期待もされていないのは分かっていたから見返してやりたかった』と耳にし目にする。
期待を背に大会に望む代表程、無惨に散る。
差は何か。
私はハングリー精神の欠如にあると考えている。
その差は、ある局面で顕著に出る。
球際、にあると私は考えている。
球際にこそ選手のハングリー精神が出ると私は考えている。
フィフティ・フィフティのボールをマイボールにする強さこそが国際試合では明暗を分けるものだと私は思う。
金メダルという最高の形で幕を降ろしたアジア大会での日本代表は、くじ運に恵まれたとはいえ相手はオーバーエイジを使って来る位、大会を勝ちに来ていた。
押される展開が多い中、彼等は勝った。
ワールドカップもアジア大会も「見返してやりたい」という気持ちこそが彼等を強き者にしたと私は考えている。

来年のアジアカップ。
失ったアジアの盟主の座を是非取り戻して頂きたい。


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