合いの子

2010 年 11 月 24 日

0-5

このスコアが今季優勝を決めた名古屋グランパスエイトのJリーグの船出であった。
日本初のサッカー専用スタジアム、鹿島スタジアムで行われた開幕戦を私はよく覚えている。
トラックの無い、芝の模様が複雑に入り組んだ美しいピッチで躍動したのはホームの鹿島アントラーズであった。
当時、ジーコが好きだった私はビデオテープに納められた試合を何度も繰り返し観た記憶が残っている。
ゲーリー・リネカー擁する名古屋グランパスエイトを中央、そしてサイドからズタズタにする鹿島アントラーズに魅了された。
ジーコの美しいFKも未だ鮮明に思い出せる。
Jリーグが開幕した1993年は10チーム中9位、翌94年12チーム中11位。
いつしか「Jリーグのお荷物」と囁かれる。

だが、この年ドラガン・ストイコビッチがチームに加入する。
翌95年、チームはターニングポイントを迎える。
今や世界的な名将アーセン・ヴェンゲルの就任である。
「お荷物」がリーグ3位と躍動、天皇杯も獲得。
翌96年、アーセン・ヴェンゲルは現在も指揮するイングランドのアーセナルに招かれる。

ヴェンゲルが去ったチームは徐々に衰退していく。

毎年リーグ中位を彷徨い、毎年の様に監督を交代。
チームとして悲惨な時期を送る。
2001年にはチームの中心ストイコビッチが現役引退すると、リーグ中位を彷徨うシーズンもあれば、残留争いまで参加してしまうシーズンも送ってしまう。
07年には天皇杯でJFLのチームにまで敗れてしまう大失態を犯してしまう。

08年、ストイコビッチが監督として就任。
ここからチームはかつての姿を取り戻したと思っている。
潤沢な資金も手伝い、層の薄いポジションにピンポイントに的確な補強を行っていく。
10年、チームとして初の3年目の監督となったストイコビッチは開幕からアグレッシブな試合展開を披露していく。
試合を観ていても、飽きず、楽しいサッカーが出来るのはイビチャ・オシムに学び、ヴェンゲルの教えを受けた“合いの子”だからかも知れないと私は考えている。
しかし、いくら潤沢な資金があり補強を進めても監督がチームを一つに出来なければ昨年までのスペインの大御所チームの様に本末転倒である。
チームの第1次黄金期を支え、監督交代によって衰退していくチームを見たストイコビッチの監督力であり、人間力が成せる技に思う。
現在もアーセナルの練習に参加し恩師に教えを受け、監督として大切な学ぶ姿勢や意欲、情熱は留まる事を知らない。

近年、すっかり勝てなくなってしまったACL(アジアチャンピオンズリーグ)が今から楽しみである。

私は、名古屋グランパスのファンではない。
だが、お荷物からチャンピオンになった名古屋グランパスに大きな拍手を贈りたい。


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