畏敬

2015 年 9 月 22 日

 鞍馬(くらま)天狗は、牛若丸の育ての親の伝説上の天狗とされている。その後、牛若丸は兄である源頼朝とともに父親の仇である平清盛を討つ話は源平合戦として知られている。

 牛若丸こと源義経は、一の谷の戦いに代表される奇抜な戦術で平家をつぎつぎと撃破し、源氏の勝利と鎌倉幕府成立に多大な貢献をもたらした。その後、義経の歩んだ悲劇的な末路は多くの共感をよび、中国に渡ってチンギス・ハーンになった、など、いくつもの伝説を生んでいる。

 その義経に武芸のすべてを叩き込んだとされる鞍馬天狗も、義経同様にファンは多く、教鞭(きょうべん)をとる方やスポーツの指導者は、天狗の面を家の壁に畏敬(いけい)の念をこめてかざる。

 鞍馬天狗を自宅の壁にかざるドイツ人がいた。

 1960年、アジア最弱といわれたフィリピンにも負けるほど弱かった日本代表が、1968年のメキシコ五輪では銅メダル獲得にいたる。50年経った現在でもやぶられていないこの偉業は、たったの8年間で成し遂げた。飛躍的に強くなった背景には1人のドイツ人コーチの存在がある。

 1964年の東京五輪で恥をかかないように日本サッカー協会は「外国人コーチの招く」という窮余(きょうよ)の策を打って出る。給料や人格などこと細かい条件が出され、その中に「若くて元気な」という項目もあった。

 西ドイツサッカー協会に打診し、ある日、日本の交渉人のもとにやってきたのは、ひたいが後退した、若くはないが元気で小柄なドイツ人だった。交渉人がその人物を調べるとサッカー哲学がプレーだけにとどまらず、教育や精神論にまで至っていた。物静かで洞察力のある人柄に魅せられ、即決する。

 男の名はデットマール・クラマー。このとき指導した若者たちはやがてメキシコ五輪で銅メダルを獲得し、それから25年後にJリーグを誕生させる中心メンバーになる。

 日本のサッカーの“父”は9月17日、この世を去った。享年90歳。

 クラマー氏は生前、日本人に対し興味深い話をしている。日本人は技術を目で盗むことができる、と語り、そのことを「レントゲンの目」とも呼んだ。物事を奥深く観察できることは日本人の才能と言い、このことは他の国で体験したことはない、とも言った。

 クラマー氏の来日がなければ、日本サッカーの進歩が何年遅れたかは誰にも分からない。確信できるのは、彼が来なければ小さな一歩すら歩み出せなかったのは確かである。

 情報社会になった現代ではクラマー氏が、義経のような伝説になることはないだろう。だが、クラマー氏の功績は伝説として永遠に語りつがれていくことだろうし、これからは空の上から日本サッカーの行く末を見守ってくれるはずだ。
 心からのご冥福をお祈りしたい。


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