切磋琢磨

2010 年 10 月 11 日

世界地図に記された「JAPAN SEA」という海を渡ると大韓民国がある。
乃ち、韓国がある。
先人達は、日本は韓国という壁を越えられない壁として捉えていた。
1985年10月26日、国立競技場、伝説として語られている前半終了間際に木村和司のフリーキックを決めたあの日、微かだが、見果てぬワールドカップの扉が、ほんの少し開いた。
しかし、1-2からスコアは動かず、敗北。
11月3日、アウェイの地で惜敗。
日本にとって、ワールドカップの重い扉は開かぬままだった。

韓国にとっても日本で行われた10・26の試合は負けてはならない試合であった。
無論、韓国にとって日本に“負けていい試合”など存在しないのは承知の事実。
私が高校生の頃、ある雑誌で『サッカーだけは日本に勝ち、36年間の植民地支配の恨みを晴らし、国民に喜びを与えなければならない』という記事を読んだ。
その位、韓国選手にとっての韓日戦の意気込みは凄まじい。

1967年10月7日、国立競技場で行われたメキシコ五輪に向けてのアジア予選3-2の死闘を制した日本は翌年行われたメキシコ五輪で「栄光の銅メダル」を獲得。
その後、日本は暗黒時代に突入。
高き壁は高くなるばかりであった。

ところが1982年の秋、アジア大会で韓国は日本に敗れている。
無論、金正男監督は更迭され、この最終予選を前に再び金正男監督が就任。
そんな中での1985年10月26日、11月3日の二連戦であった。
この年、32年振りに本大会の切符を手に入れた韓国は現在までワールドカップの切符を逃してはいない。

鬼気迫る選手に気押され、コンプレックスを抱く。
ある選手は言う『リードされれば「今日も駄目かな」という雰囲気』
『「国を背負っているんだ」という気迫が凄いんです』と。
負け犬根性がびっしりと根付いてしまう。
苔の様に。

時は流れ、コンプレックスの微塵も感じさせない世代が現れる。と同時に韓国国内でも徐々に日本を受け入れてくれる世代が現れる。
日本の歌が韓国の街で流されたり、日本人が好きな韓国人も現れる。

暗い過去が消える事は決して無い。

だが、サッカーに置き換えた場合、アジアが世界のレベルに達するには互いの交流が必要不可欠。
互いに手を取り合い、ライバル関係を持ちつつ、友好で良好な関係を築いて頂きたい。
それこそが先人達が築いて頂いた歴史の答えに思う。

それが21世紀の韓日戦であり、日韓戦の在り方だと私は考えている。

サッカーにはその力がきっとある。
私は、信じている。

カテゴリーは違えど、韓日戦、日韓戦の2連戦を興味深く拝見したい。


コメントをどうぞ