前途

2015 年 3 月 18 日

 昨年のブラジルW杯、グループリーグ初戦のコートジボワール戦を控えた日本代表の選手たちは「あのときに比べたら」といった、前向きな印象を口にしていた。

 「あのとき」とは2010年に行われた南アフリカW杯前のテストマッチでコートジボワール代表に0-2で敗れた試合だ。当時、FWディディエ・ドログバなど世界的な知名度をもった選手たちは円熟期を迎えており、得点差以上の差を感じていた相手と奇しくも4年後のブラジルW杯で対戦が決まる。

 「あのとき」から4年間で日本代表はチームとして、アジアカップや東アジア選手権の制覇といったタイトルを獲得し、選手たちも皆が知るビッククラブへの移籍を実現させていた。

 コートジボワールのスター選手たちがキャリアの下り坂にある一方、日本人選手たちは経験を積み、年齢的にもキャリアの絶頂期を迎えていた。そのことが選手の自負へと繋がっていただろうし、4年分の経験も発揮できると疑わなかった。

 それでも1-2で敗れた。

 「あのとき」のコートジボワール代表の礎(いしずえ)を築いたのが、日本代表監督に就任したヴァヒド・ハリルホジッチである。

 このフランス国籍のボスニア・ヘルツェゴビナ人は、2008年にコートジボワール代表監督に就任すると2年間の在任中、公式戦で一度も敗れることなくW杯出場を決めていた。

 2010年になり意気揚々と南アフリカW杯に臨むはずが、コートジボワールサッカー連盟から突然、解雇されてしまう。同年の1月に開催されていたアフリカネイションズカップでの準々決勝敗退がその理由とされている。

 その後、ディナモ・ザグレブ(クロアチア)では国内リーグを制し、11年から14年まで任されていたアルジェリア代表ではブラジルW杯に出場し、同国初のベスト16の快挙を成し遂げている。その後、トラブゾンスポル(トルコ)を指揮したが昨年11月に契約を解除されている。

 就任会見の際「日本の成績は下がっているが復活できるクオリティーはある」と語り、連日ミーティングを重ねている。それに参加する霜田正浩技術委員長は「要求は緻密で厳しい」と言う。

 その厳格さと緻密さがクロアチアやトルコで問題を引き起こし、契約を解除するに至った可能性は否定できなくもないが、現在の日本サッカー界には必要な“大なた”であることを信じたい。

 日本サッカー協会が、イビチャ・オシム前監督の系譜(けいふ)を大事にしていたなら過去の人事は一貫性を欠いている、と言われても仕方のないことだろうし、ハリルホジッチがオシムと「親友」だと言われても勝利や改革が約束されているわけではない。

 サッカーに限らず、スポーツの世界では勝利のみが説得力をもつ。新生日本代表は19日に発表される。


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