拝啓

2010 年 9 月 10 日

ディフェンディングチャンピオン敗れる。

川口能活を擁し、第72回全国高校サッカー選手権大会を静岡県代表清水市商業高校が制し、その年の夏のインターハイも制し、第73回大会は3年生になり超高校級と称された、佐藤由紀彦、安永聡太郎を擁し優勝候補最右翼のディフェンディングチャンピオンが2回戦で敗れた。(シードの為、実質1回戦)
佐藤由紀彦の突破を果敢な飛び出しでストップし、シュートの雨をスーパーセーブで凌ぎ切ったGKがいた。
優勝候補を破った奈良育英高等学校は優勝した市立船橋高等学校にベスト4で敗れてしまうのだが、第73回大会ハイライトとして現在でも私のみならずオールドサッカーファンの間でも愛されている逸話に思う。
高校卒業後、横浜フリューゲルスに入団。
当時、人気GK森敦彦から正GKの座を奪い、数々の記録を打ち立てる。
日本代表にも選出され、1つ年上の川口能活と正GKの座を争い続ける。
安定した守備を武器に存在感を増していく。

忘れられないのは何と言ってもシドニーオリンピックでのアメリカ戦。
味方DFと交錯、頭に大怪我を負う。
鼻血を出しながらのプレー、血に染まった黄色のユニフォーム、鬼気迫るという形容詞がはまるプレー。
PK戦で敗れてしまうのだが、試合後の検査で頭蓋骨骨折が判明する。

いくら試合中でアドレナリンが出ている中であったとはいえ、同じ男として頭が下がる。

過去、日本が4回出場したワールドカップメンバーに4度選出。
フィールドに一人しか立てない特殊なポジションで川口能活と共に切磋琢磨し、日本サッカーに一時代を築いた楢崎正剛。
川口能活を「動」楢崎正剛を「静」と表現され続けられた両者。
楢崎正剛の存在なくして川口能活の存在もなく、川口能活の存在なくして楢崎正剛の存在もなかったと私は思っている。

先日行われたグアテマラ戦を最後に代表を退いたのだが、『プレーしないことも代表への貢献に繋がる』と述べた。
「静」と表現された男らしい幕引きであった。

グアテマラ戦後、川島永嗣と二人きりで話をしたという。
喜びも悔しさも胸に次世代を想い、未来を想い、代表を引退する。
これからを担う男に何を話したか。
機会があれば是非、お聞きしたい。

楢崎正剛は長かった代表生活を終え『感謝している』と述べた。

私も楢崎正剛に感謝している。
『感謝している』のは私だけではない筈。
日本全国のサッカーファンが貴方に感謝していると私は思っている。

長い間、本当にお疲れ様でした。


コメントをどうぞ