加速

2013 年 12 月 18 日

 2010年、欧州CL(チャンピオンズリーグ)ベスト16のセビージャ戦で決めたFKが決勝点となり「HONDA」の名を欧州が知った瞬間だった。

 本田圭佑は所属していたCSKAモスクワ創設以来、同大会初のベスト8に貢献した。その後チャンピオンになるインテル・ミラノに完敗を喫し、ベスト4進出はならなかった。

 イタリア北部ミラノに居を構える地元紙ガゼッタ・デッロ・スポルトは、「本田は180分間のインテル戦で、中古のベスパ(スクーター)のようだった。下がり気味の位置からスタートを切って機能せず、センターハーフになっても、トップ下になっても機能していない。加速することはなかった」と吐き捨てるように日本代表MFをバッサリと切り捨てた。

 2012年のレアル・マドリー戦後も同様で、「日本のHONDAと聞いていたが、街角にある古く平凡なベスパだった」と、またしても手厳しい論調(ろんちょう)で切り捨てた。

 今冬、本田圭佑のACミラン移籍が“正式”に決定した。

 来年1月からミランの選手となる本田は、ミラノの2チームを特に“贔屓(ひいき)”する「ガゼッタ」に、選手としての“これから”を書かれることになる。それもサッカー界で最も注目が集まると言っても過言ではない「背番号10」を自身で選び、申し込んだというのだから、すでにその覚悟はできているはずだ。

 このチームの「10」は特別である。10年以上も背負った選手もいれば、短期間ながらも語り草となっている選手、現在でも「世界一の選手賞」として名高い「バロンドール」を獲得した選手が在籍した特別な過去だ。

 しかし、こんな話がある。

 元陸上オリンピックメダリストが『なぜ、日本人が各競技でメダルを獲得できるようになったのか』という問いに対し、『その競技において先駆者がいたからでしょうね』と答えた。

 ここでの先駆者はメダルを獲得した選手を指し、それを見た少年少女たちにとってメダル獲得は夢物語ではなくなる、というものだった。つまり、本田のミラン移籍はこれからの子供たちにとってビッククラブでの背番号10は夢物語ではなくなった事でもある。

 “当たり前”は実際ある。

 一部の物好きのスポーツだったサッカーが、Jリーグの誕生によりプロ野球と肩を並べるようになり、あれほど固唾を飲んで見守ったW杯最終予選にもはや興奮はなくW杯出場が至上命題になり、今では大会ベスト16がノルマとなりつつあるのは誰もが実感している。

 また、海外主要リーグで得点やアシストを記録しても新聞の一面を飾ることはなくなったのはメディアの姿勢の変化というより、ファンの目線の変化だろう。

 ともかくも本田のミラン移籍は正式に決まった。“日本人”本田の評価が加速することを願うばかりである。


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