持駒

2013 年 10 月 15 日

 サッカーと将棋がコラボレーションをして観客動員数を伸ばす試みをしているチームがJリーグにはある。なるほど、全くの見当違いでもなく似て非なるものでもない。

 攻めながら守ることはサッカーと将棋は同類。サッカーの「相手からいかに得点を奪うか」は「詰め将棋」と似た部分がたしかに多い。持ち駒を駆使しつつ常に先手を打たなければ詰むのはむずかしい。

 日本時間12日、国際親善試合セルビア戦が行われ日本代表は0-2で敗れた。決定的な場面と55%というボール保持率では上回ったものの最終的なスコアで勝敗が下されるのがサッカーというスポーツである。

 試合後、セルビア人選手たちはコンフェデレーションズ杯のイタリア戦をあげ、日本は「能力があるチーム」であることを認めていた。また、『チャンスは彼らの方があった』と日本を称賛する選手も少なくはなかった。

 イタリア戦と同様に、良い試合はできるが勝てない、というのが日本代表の現状なのかもしれない。

 コンフェデ杯の3連敗、メンバーの固定化により漂っていた停滞感を打破すべく期待されていたFW柿谷曜一朗もチームに良くはない方向に順応してしまった印象を多くのファンが受けたことだろう。特徴でもあるDFラインの裏にボールを要求する姿は影をひそめ、たとえ裏に飛び出してもタイミングが合っているとはとてもだが言い難(がた)い。

 なにより海外組と合流してからの得点「0」という結果がそれを示している。優勝に貢献した東アジア杯でみせた強い自我やチームを牽引する姿は過去のものになってしまうのだろうか。

 サッカーも将棋も勝負がはじまればバランスを保ちつつ攻めなければ勝てない。ただ、サッカーにおける“駒”は将棋の駒と決定的な違いがある。

 将棋の駒は「意志」を持たないが、サッカーの“駒”は意志を持っている。その駒たちのコンディションを見抜けないことと的確な指示を授けることができないのは操る側の由々しき問題ではないだろうか。

 操る側は6人まで交代できる試合でも4人の交代に終わった。そのこともセルビア戦に始まったことではない。

 また、FW齋藤学の所属する横浜Fマリノスは12日にナビスコカップ決勝戦をかけた戦いを控えていた選手である。チームの主力を引き抜いてまで欧州遠征に参加させ、使わないのは送り出してくれたチームへの配慮に欠ける。試合は柏レイソルに勝利したものの得失点差で決勝進出への道はたたれ、まさに泣きっ面に蜂だ。

 来たるベラルーシ戦では勝利への意志を感じさせる試合を期待したい。意志をもった“駒たち”の奮起がなければ、勝利はもはや遠い。彼らにはその能力が十二分にあるのは日本のファンはもちろん、今や世界中が知っている。


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