先週末に行われたJリーグ第11節、大宮アルディージャはベガルタ仙台に1-2で敗れ、Jリーグ記録を更新していた無敗記録が「21」でストップした。その始まりは昨季の24節の9月1日から記録は築かれており、その前節に敗れた相手こそ奇しくも仙台だった。
試合前のコイントス、大宮のゲームキャプテン菊地光将はエンドを変える。
コイントスの勝者は1996年までエンドかボールかを選べたが、 1997年以降はエンドしか選べず、昨今エンドを変えるチームはあまりみかけない。
一般的に、だが、前半はファンに見守られながら戦い、体力の消耗した後半にファンの待つゴールに攻めこむほうがモチベーションの部分で有利とされている。シュートが外れても拍手が起こり、声援がおくられた選手たちは疲労しきった体にムチを打たれるように奮起をうながす。
しかしこの日、菊地が選んだのはその逆だった。前半に仙台サポーターが待つゴールに攻めさせることを選択する。自分の首すらしめかねない奇策ではあったが、策は外れ、前半のうちに2失点を喫してしまう。無敗記録を築くまでに前半に2失点することがなかったチームは、後半におおくのチャンスをつくり1得点をあげるだけに留まり、記録に終止符を打った。
Jリーグが1993年に産声をあげたその頃、仙台は東北社会人サッカーリーグで戦っていた。その後JFL、J2を経てJ1に駆け上がってきたチームの一つだ。J2にいた時期もあったが、昨季は結果的に2位で終わってしまうもののJ1で優勝争いをするチームにまで成長する。チームにはもちろん、サポーターにも“力”があるということを多くの他チームが認識する現在がある。
毎試合のようにゴール裏を黄色のユニフォームを着たサポーターでスタンドを黄色一色にし、その光景と声援は相手チームにとって脅威になっている。バックパスを繰りかえす場面ではブーイングを浴びせ、仙台の選手が倒された場面では我が子を守るような“声”をあげる。それは仙台だけに限ったことではなく、日本でも珍しい光景ではなくなった。
それでも日本のサポーターは「まだまだ」という声がある。
たとえ一朝一夕にそのサッカー文化が日本に根付かなくとも、プロリーグ発足してからサポーターたちは試行錯誤をかさね正しい形でチームを助けている。第11節でみた大宮の判断は相手ファンの熱によってエンドを変える、つまり、策を講ずる時代にもなった小さな証拠だろう。
たとえ日本のサポーターの質が「まだまだ」だとしても、サッカーとチームが好きでスタジアムまで足を運ぶファンがいる。そして各チームに“色”が出るようにもなった。大衆を啓蒙(けいもう)するように日本サッカーは正しい方向に向かっている。