傷跡

2013 年 4 月 29 日

 フランス有数のスラムで育ち、顔にある深い傷跡が原因でイジメにもあった。また、日本人には想像を絶する差別がその国にはあるのだという。

 気性が荒いのもよく知られている。我をうしなった結果、いらないカードをもらいCL決勝戦という舞台に立てなかった時もあった。

 そんな選手が泣いていた。

 2009年、欧州CL(チャンピオンズリーグ)準々決勝1stleg、FCバルセロナ対バイエルン・ミュンヘンでのことだ。完膚なきまでに叩きのめされた選手がうつむくシーンはよくある光景だが、フランス代表のチームメイトFWティエリ・アンリに肩を抱かれるとフランク・リベリーは、子供のように泣きじゃくっていた。

 対戦した相手はあまりにも強かった。左サイドにいたリベリーは、何度かドリブルで侵入するシーンもあったが得点には至らない。クロスを上げようにも中央にいるはずのFWが彼に追いつけないシーンが多々あり、0-4というスコア以上の差がそこにはあった。

 今季、欧州CL準決勝1stlegにおいてバイエルンが4-0で圧勝すると世界中のメディアは、敗者に「サイクルの終焉」の文字を突きつけた。

 敗者はバルサの愛称でよばれ、近年サッカーファンを“虜(とりこ)”にしてきたチームだ。古くからのファンが嫌がるほどに世界規模でファンが増大、つよくなりすぎたチームは同時に世界中に“敵”をつくってしまったのかもしれない。

 下部組織や育成方法の成功はチーム作りの見方を変え、世界中が彼らをいかにして倒すか、その方法をねりにねった。いつの世も世界最強とよばれるチームは追われる立場にあり、重圧をふくめた見えざる敵と戦うことは強き者の宿命でもある。

 バイエルンは進化した。決してバルサが歩みを止めたわけではない。それ以上にチームとして高みにいったのは結果が物語る。アリエン・ロッベンという相棒をえたリベリーとチームは波にのった。国内の覇権をあらそったボルシア・ドルトムントの出現もまたチームに高みを歩かせた。

 バルサというチームは90年代に“ドリームチーム”と呼ばれた過去があった。

 そのサイクルの始まりはヨハン・クライフ監督がもたらし、当時の中心選手こそ前監督ジョゼップ・グアルディオラだった。1994年、CL決勝戦でイタリアのACミランに0-4で敗れ、結果的にこの敗戦が一時代の終焉を告げるものとなった。

 グアルディオラがチームを任された2008年から現在のサイクルが始まった、といっていい。昨季の退任までの4年間、国内外で獲得した14のタイトル数がその功績を物語る。

 5月1日、2ndlegが行われるバルサの本拠地カンプ・ノウは、チームにとって数々の奇跡を起こしてきた舞台だが、その場所は過去に0-4で敗れリベリーが泣きじゃくった屈辱の場所でもある。


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