重圧

2013 年 3 月 29 日

 日本中が、勝負ごとに“絶対はない”ということを痛感さられたのではないだろうか。26日、ヨルダン・アンマンの地で行われたアジア最終予選ヨルダン戦は、1-2で日本が敗れた。

 日本に勝利したかれらは泣いていた。

 昨年10月、フランスの地で日本はフランスを1-0で倒した。世界の強豪を倒し、アジアの盟主でもある日本を倒したかれらにとって感極まるものであったのは容易に想像できる。

 思い返せば、1993年当時の日本にとって、たかき壁だった韓国に最終予選で1-0の薄氷をふむ勝利で打ち負かしたとき、日本は泣いた。W杯出場を決めたわけではなくともかれらは泣いた。次節のイラク戦で試合終了間際に追いつかれ、のちに“ドーハの悲劇”とよばれる、あの最終予選での出来事である。ところどころで歓喜の輪ができるなか、ひとり釈然としない選手がいた。

 当時、10番を背負っていたラモス瑠偉氏である。

 のちに『韓国を倒しにドーハまできたわけではない』、『W杯を決めたわけではないのに』、と回想している。

 ヨルダンは正面からぶち当たってきた。前回(昨年6月)、日本に0-6で負かされたことなど微塵(みじん)も感じさせず、果敢に挑んできた。試合がおこなわれたスタジアムは、最終予選でオーストラリアという強豪をたおし、ホーム無敗をほこるヨルダンにとって縁起のよい場所であり、スタンドを埋めたファンの声援もまたチームの勝利を助けた。

 そういった背景、重圧がたとえあったとしても日本は、勝たなければいけなかった。前節(昨年11月)のオマーン戦でも、状況は酷似しながらも勝利をもぎ取ってきた。

 圧倒的なアウェイであったとしても、チームを勝利に導けなかった現在10番を背負う香川真司が、試合後にうなだれている光景はこの試合のハイライトにもなった。

 ラモス瑠偉氏はこの試合をふり返り、『本当にW杯に行きたいのかね』と熱のあるコメントを残している。これで6月4日に出場権をかけ、オーストラリアと争うことになったのだが、コンフェデレーションズカップへの調整もでき、デメリットばかりではない。

 思い返せば、1997年にマレーシアで初出場を決め、2005年はタイ、2009年はウズベキスタンでW杯出場を決めてきた。W杯に挑戦してから国内で出場を決めた試合はないのだ。奇しくも、この敗戦により国内で「出場権獲得」のチャンスができ、勝利すれば、歴史に新たな1ページを刻むことができる。

 しかし連敗した場合、まちがいなく日本中から笑みが消えるだろう。それでも、重圧のなかで手にした出場権はチームをより高みに誘(いざな)ってくれるだろう。

 世界の強豪とよばれる列強はそうした重圧のなか、W杯出場権を獲得していることを忘れてはならない。


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