強者

2010 年 6 月 29 日

私が生まれる遥か昔、1966年サッカーの母国イングランドでワールドカップが行われている。
ご存知の通り、サッカーの母国イングランドがワールドカップ初制覇を成し遂げている。
この大会の決勝戦で後世まで語り続けられる疑惑のゴールが生まれている。

今更、説明不要なワールドカップ史上に残る、負の遺産。

イングランドは歓喜に包まれ、ドイツは腑に落ちない後悔を味わっている。
ピッチに立っていたドイツ人は悔し涙を流したのは言うまでもない。
そして若き日の皇帝ベッケンバウアーもこの日のピッチに立っている。

歴史は流れ、人類はこの大会から3年後に月にも着陸している。
コンピューター技術が発達し、我が国では凡そ3人に1人の割合で携帯電話を所持している。
電話を携帯する。
その電話は会話のみならず電子メールを送る事が出来る他、様々な便利を味わう事が出来る。

こんな時代を迎えても、サッカーにおいて改善されない問題がある。
疑惑のゴールである。
2010年。
1966年から44年経ち、またしても後世まで語り続けられるであろう疑惑のゴールが生まれた。

大会を運営する国際サッカー連盟、略称FIFAは以前から様々な事を検討している。
ボールにチップを入れる。
審判を増やす。
そして、ビデオ判定導入。
このビデオ判定に待ったをかける人物がいる。
欧州サッカー連盟会長のサッカー界のレジェンド、ミシェル・プラティニである。
理由は『フットボールが死ぬ』という理由。
試合を観戦したファンが疑惑のゴールや疑惑の判定を巡り、議論を重ねる。
それもフットボールの一部である。
というのがプラティニの考え。
私も同感である。

審判も人間であり、故にミスをする。
ミスや失敗を犯さない人間など皆無である。
選手に置き換えてもミスや失敗を犯さない選手などいない。

1966年疑惑のゴールで勝利を手繰り寄せたイングランド。
2010年疑惑のゴールで勝利を手繰り寄せたドイツ。

試合が大会決勝戦か決勝トーナメント1回戦かに置き換えた場合、ドイツの方が、より悲惨だ。

見方や考え方さえ変えれば、フットボールが美しいスポーツであるのは変わらない。

今夜、日本vsパラグアイの試合が行われる。
両国にとって初のベスト8をかけた闘いが行われる。
誤審で泣くかもしれない。
誤審で笑うかもしれない。

皇帝ベッケンバウアーは1966年大会から8年後の1974年大会を制し、有名な言葉を残している。
『強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ』と。

忘れてはならないのはカメルーンもデンマークも強さのバロメーターを示すFIFAランキングでは日本よりも上にランクしている。
決して弱いチームではなかった。

それでも、試合に勝ったのは日本だという事。

このコラムで何度でも言うが
今夜の試合も勝とうが負けようが未来に繋がる試合を期待したい。

2002年大会のトルコ戦の様なスターティングメンバーだけは勘弁して貰いたい。

さあ、決戦である。


コメントをどうぞ