重来

2013 年 1 月 14 日

 2013年の1月が半分を経過しようとしている。正月特番なる番組は終わり、生活にいつもの日常がもどってきた方もおおいのではないか。

 正月のお茶の間をにぎわした、箱根駅伝がずいぶんと昔のようだ。いったい何人の人が予想できたのだろうか、日本体育大学の30年ぶりの総合優勝に終わり、そのこともまた多くのドラマを生むこととなった。

 優勝したことによって同校の監督、別府健至氏が前回大会後に選手たちに言った『来年キャプテンは服部でいきます。新4年生は「それは許さない」と言うのであれば、辞めろ』といったエピソードは、熱心なファンのものではなく、皆が知るものとなった。

 初出場から64回目にして、初の繰り上げスタート、過去最低の19位という屈辱は監督に大なたをふらせた。

 なんの大会であれ、その大会に参加することで背負わなければならないものがある。個人のプライドに代表される感情の中で、伝統ほどやっかいなものはないだろう。その伝統をこのんで同校の門をたたく選手にとっては心地よい緊張感をうむが、箱根駅伝において30年ちかく優勝に縁のない日体大の生徒にとってはそれそのものが未知だったはずだ。

 『こけちゃいました』という名言を残した、谷口浩美氏は1983年の総合優勝におおきく貢献し、いわば同校の黄金期をつくった。黄金期には終焉が必ずおとずれ、その時期の下り坂のなかにいた10人に若き日の別府監督がいた。追われる立場にあり、伝統が重荷になっていく日々にいた選手と、古豪とよばれるようになった日々にいる選手とでは悔しさの価値がちがうものだ。

 昨年の屈辱は、監督の進退問題にまでおよぶ。そんな折、高校時代の恩師をチームに招へいする。恩師は、『練習の量や質が良くても生活態度がわるければ絶対に勝てない』と語ったという。

 夜もあけない朝5時半すぎから生徒と共に練習場の草むしりや施設の掃除をし、午後10時半の消灯時間を厳守させた。4年生から反発の声や、あまりにきびしい規則から耐えられず辞めていく部員も出たが、監督はいっさいの妥協をゆるさなかった。

 苦労はみのり、優勝直後には『キャプテンは3年生、チームを支えたのは4年生』と、賛辞を忘れない指揮官が立てなおしたチームには30年ぶりの歓喜がおとずれた。

 黄金期のあとに入学し、勝てなくなったチームにいた現役時代。昨年には監督として致命的となる東洋大学の驚異的な強さを読みちがえた苦い経験をこの監督は知っていた。その苦い経験をいい加減にしなかったからこそ努力をし、その努力の先にしか見ることの許されない景色をみた。

 2013年が始まり、日体大にみる小さくも大きい私生活の改善こそ、よりよい1年を約束されるのではないだろうか。


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