松井秀喜

2012 年 12 月 30 日

 たとえサッカーに興味がなくとも、ディエゴ・マラドーナという選手は誰もが知っているはずだろう。そういう選手とチームメイトになった場合、それは夢のような思い出になるはずだ。

 のちに歴史に名をのこす選手となるジャンフランコ・ゾラはその典型例だろう。マラドーナが選手としてピークを迎えていたセリエA・ナポリ時代、ゾラは夢のような時間を体験する。

 『初めてマラドーナとボールを蹴りあったとき、極自然に笑みがこぼれてきた。あの時のうれしさ、感動と興奮をぼくはずっと持ちつづけてプレーしてきた』と、選手時代の晩年にコメントしている。

 「あの時があったから」というのは、誰にとっても大事な経験なのは言うまでもない。

 高校野球児にとって夢の舞台である甲子園という舞台で、5打席連続敬遠という稀有(けう)な経験した松井秀喜はプロの世界にとびこみ、日本球界を代表するホームランバッターになってゆく。

 プロ生活7年目のある日、5打席連続敬遠したピッチャーと対談するテレビ番組が企画された。その対談を前に、『あの当時の松井秀喜は5回敬遠するほど価値のあるバッターではなかった』と謙遜し、『かりに勝負したとしても打てたかどうか分からない』とも言った。
 『ただ、そのことにより伝説のバッターになってしまった』と笑いながら話すあたりが日本人に限らず、人に愛される松井秀喜なのだろう。

 長嶋茂雄氏とのあいだには奇妙な“縁”がある。

 同氏が引退した1974年に松井は生まれ、最初に監督を解任された1980年に野球をはじめている。ふたたび監督として戻ったその年にドラフトでくじを引き当てている。

 ドラフト前に『自分を望んでくれた球団が、僕の希望球団です』と語っていた青年は、自分を望んでくれた球団でおおくを背負い、希望球団を日本一にもした。また、自身があこがれた世界一有名なチームに移籍し、そのチームを世界一にもした。

 長嶋茂雄という不出世の天才と過ごした若い才能は、大きく開花し、アメリカ人をふくめたおおくの人から、人間として、選手として賞賛をあつめるまでになった。そういう松井秀喜という選手が2012年をもって現役引退を表明した。

 巨人時代に築いていた連続試合記録を伸ばし続ける理由を『巨人戦のチケットはなかなか取れないんです。もし、仮にその試合に地方から僕を見に来ているファンがいたら、って思ったら少しくらい痛くても僕は試合に出ます』と、ファンを大事にする選手だった。

 引退会見のとき『一番の思い出は?』という問いに、優勝した時ではなく、代名詞のホームランでもなく、目に光るものを滲(にじ)ませながら『2人で素振りをした時間ですね』と答えたのは必然だったのかもしれない。


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