広島市民球場は字のごとく、広島市民のための球場だったと聞く。
1957年、平和公園、原爆ドーム、といった歴史的な建造物に隣接する、中国地方初となるナイター設備が完備された球場誕生は市民に大きな喜びをもたらした。
読売ジャイアンツが前人未到の9連覇を果たした70年代に入るまで、リーグ優勝を果たせないチーム成績、とても常勝とはほど遠いチームにも関わらず、21世紀になった現在でも熱烈なファンは多い。
日本の成人のおおくが、一度は読んだことがある漫画「はだしのゲン」の中でも、現在でも続く野球界の縮図の一つを表した広島市民球場の帰り道にこんな会話がある。
『なぜ、巨人に勝てない』
『巨人には選手がそろっている』と慰(なぐさ)める場面がある。だが、怒り心頭であり、決して慰められたようすはない。「はだしのゲン」の時代背景から、そうした郷土愛、チーム愛を読みとることができる。
60年代、高度成長期を経た日本。野球界も変革をとげ、各チームが「球場」から「スタジアム」に戦いの場を移し、広島も市民球場から「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」にその場を移している。
近代的で、メジャーリーグを彷彿とさせる内野、試合を観ながらバーベキューができる施設、アクセスも良く、今季はクライマックスシリーズも手の届く場所につけている。
旧広島市民球場に訪れたことがある者ならば分かる話だが、言葉を悪くいえば、プロ野球をするには首をかしげたくなるほどに小さく、古めかしい印象がつよい。
それでも市民はその球場をある種、過剰なほどの愛情を注ぐ。
その一つに広島県出身のミュージシャンであり、広島カープの熱烈なファンで知られる奥田民生氏は、その球場でコンサートをすることに強く望み、さまざまな困難を乗り越え、それを成功させている。
そうした場所も2010年、閉鎖が決まる。取り壊しが決まると、歴史を作ってきた品々はオークションにかけられ、球場を愛したファンの手に渡ってゆく。
その場所に新たな計画がある。旧広島市民球場の跡地を利用し、サッカー専用スタジアム建設というものだ。
記録によると1957年の開場に至るまで、おおくの問題を乗り越えた球場でもあった。そこに住む、地元住民からの猛反対もあった。それでも、県民の情熱が反発を押しきり、球場完成にまで至らせた、とある。
歴史を作ってきたその場所にスポーツは違えど、あの頃のように「0」から新たな歴史を築いてゆける喜びは、市民の、県民の特権でもある。
2012年9月15日、J1リーグ第25節、ベガルタ仙台との首位決戦を制したサンフレッチェ広島は、勝ち点2差をつけ単独首位に立った。
Jリーグは残り9節で終了する。仮に優勝すれば、この計画は勢いを増すだろう。