義務

2012 年 8 月 16 日

 ロンドン五輪は閉会式をむかえ、その熱戦に幕を下ろした。日本人選手の活躍に感動をもらい、明日を生きる活力にされた方もおおかったのではないか。4年に一度の感動に疑問符を投げかける選手がいる。

 『感動には長い準備がある。準備は自分達でさせる。そして感動はみんなで分け合う。それではあまりに切ないじゃないかと思う。世の中がほんの少しだけでも準備を共有するだけでいいのに。マイナーと言われる文化産業、経済活動とは関係のない文化の世界にこれから少しでも目が向いてほしいと思う』
 ロンドン五輪前に現役引退した、為末大氏が投げかける言葉には納得させられる。

 英国の報道機関の一社は『世界をひとつにしようとしたロンドンの試みは、大会の始めと終わりに起きた2つの外交的な事件によって少々汚されてしまった』とし、痛烈に批判をした。終わりに起きた事件とはながらくつづく「竹島問題」だが、試合前から予兆はあった。負けた場合、この展開を予想できなかった方は少なくないはずである。
 もちろん、褒められた行為ではないが、負けなければよかっただけの話である。問題の行為は試合後の話であり、試合に勝ったのは韓国であり、負けたのは日本である。

 本質を避けてはならない。

 放り込みサッカーに、いかにして勝つのか。日本に対し、勝利を義務付けられたその国にいかにして勝つのか。そのことを議論しなければならない。試合後のことは、オリンピックを運営するIOCの裁きを待てばよい。本質を避けてはならない。

 8月15日、札幌でベネズエラと親善試合をおこない、1-1の引き分けで試合を終えた。本田圭佑をFWに据える試みもあったが、オリンピックで出来た“熱”を継続させることはできなかった。

 年に数回しか、日本代表を目にする機会がないおおくの道民にとって、昨年のように韓国を相手に3-0という快勝劇を誰もが、期待したはずである。それでも、アルゼンチンのスポーツ紙は『ベネズエラはもはや惨めな弱小国ではなく、日本と引き分けるくらい強くなった』と賞賛している。

 近年の成績から評価があがるベネズエラを相手に引き分けで良しとするか、疑問に思うか。その差が今後をわける基準となる。ロンドン五輪サッカー男子は、勝利によって小さかった期待はメダルへの期待に変わり、最後は脆(もろ)くも散った。韓国にあって、日本になかったものは勝利への義務である。

 では、ベネズエラ戦で義務があっただろうか。ブーイングはあっただろうか。

 日本が、ホームでは「絶対勝利」が義務になった日こそ、オリンピック決勝戦、W杯ベスト8への扉がひらくその日なのではないか。
 『感動には準備がいる』準備を手伝うことはファンの義務でもある。


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