空白

2010 年 6 月 4 日

『画面越しにでも伝わる様なプレーをしなければならなかった』
2006年ドイツワールドカップ大会グループリーグを予想に反し2敗1分で敗退。
帰国直後のテレビ番組で選手の1人が語った言葉。

2010年6月4日、南アフリカワールドカップ本大会前最後のテストマッチ。
相手チームの柱ディディエ・ドログバを前半19分に負傷退場しても勝てなかった。

もしかすると4年前と何も変わってないのではなかろうか?

いや、少なくともイビチャ・オシム前監督が日本代表監督をしていた時は未来があった。
『考えて走るサッカー』『日本サッカーの日本化』を掲げ、同年10月4日に行なわれたガーナ戦は0-1で敗れはしたものの大いに未来を感じた。
翌年7月に迎えたアジアカップでは4位に終わったものの、9月の三大陸トーナメントではオーストラリアにスコアレスで試合を終え、PK戦の末に敗北。
続くスイス戦では4-3の激戦の末、ヨーロッパの中堅に勝ってしまう。
その後に病魔に倒れられてしまう。

岡田監督に日本代表のバトンが託され『接近、展開、継続』を掲げ、歩み出した南アフリカへの道。
組み合わせにも助けられワールドカップの切符を手にした。

果して皆様には今日の試合で選手から『画面越しにでも伝わる様なプレー』なるものは感じただろうか。
少なくとも私には全く感じられない。
全く。
では『画面越しにでも伝わる様なプレー』なるものはどういったプレーか。
当たり前の話だが試合が行なわれる以上、相手も勝ちたい。
ルーズボールを全力で追いかけ、スライディングをしてまでして追い掛けるシーン。
例え、気持ちとは裏腹にボールは相手ボールになってしまっても、私自身はそのプレーを『画面越しにでも伝わる様なプレー』の一例だと思っている。
そんな1プレー1プレーが勝利への道に思う。

自分のミスでボールを奪われても追い掛けもせず、そんなボールを何人が追い掛けたか。
今日の試合、いや最近の試合でそんなシーンを何回見れたか。
分かりきった事だがどんな試合でも勝ちにいくのがプロの姿勢だと私は考えている。
果して、現在の日本代表にはそんな当たり前のメンタリティを持ち合わせて試合に臨んでいる者はいったい何人いるのだろうか?
何人かの選手からは伝わって来るし、否定もしない。
ただ、むやみやたらに相手を引き倒したりする事は断じて、『画面越しにでも伝わる様なプレー』ではない。

岡田監督に一言物申したい。
集めた選手達を家族の様に思っているだろうか。
毎回ワールドカップを制したチームは優勝したチームの選手達は『このチームは家族の様な一帯感があった』とコメントしている。
それこそが戦術やチームの方向性を授けるよりまずは日本代表が着手すべき事ではなかろうか。

そして『心意気』を説くべきではなかろうか。
プロ人口が年々増え続ける昨今。
日本代表に選ばれているという誇り。責任。
その事をまず説き、その基準に達しない選手は技術があろうがスターティングメンバーにするべきではないと私は考える。

もうテストマッチは出来ない。
チームで何かを変えていくしかない。
起爆剤が必要に思う。

私はキャプテンに闘莉王を推す。
強豪だらけの千葉県で全国大会にまで辿り着いた軌跡。
何故、日本代表を選んだのか。
説いて聞かせるべきだと私は考える。
戦術に光が見えないのなら、個人個人の奮起に私は儚い光をみる。

奇しくも8年前の6月4日。
日本代表はベルギーとワールドカップ初戦を戦っている。
空白の8年を過ごしてしまったのだろうか。

私は、そんな気がしてしまう程に悲しい。


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