「釜本超え!」
記憶が正しければ、前回の北京五輪でベスト4に進出したとき、各スポーツ紙はそう報じた。『なんとも気が早い・・』などと思いながら、ひょっとしたら、という淡い期待をもっていたのを覚えている。
4年後のロンドン五輪、彼女たちの生活は劇的にかわった。その世界の王者にもなり、注目をあつめるまでになった。アスリートにとって注目は、わるいものではないが、過剰で、いきすぎた注目は、パフォーマンスにも影響をあたえる。
「良性発作性頭位めまい症」
たよれる大黒柱、澤穂希を病魔がおそった。
過去に中田英寿氏も、初のW杯出場をまえに『サッカーを辞めたい』と口にし、からだ中に湿疹(しっしん)ができたという。目にみえない期待は、生身の人間をくるしめる。
日本にきたブラジル人サッカー選手は、みな『この国にはマリーシアがない』と皮肉まじりに言われた時代があった。サッカーとは「紳士のスポーツ」とおしえられ、「武士道」の精神が、こころのどこかにある国民にとっては、理解しがたい発想だったはずだ。
それでも、初のW杯を1カ月のひかえた1998年5月キリンカップでのパラグアイ戦でDF相馬直樹氏がきめた得点は、ずる賢く、「マリーシア」を体現した得点だった。ゴール前で得たFKをすばやく再開、かんぺきに虚(きょ)をつかれたパラグアイは、なす術がなかった。
ロンドン五輪、女子のサッカー競技は準々決勝がおこなわれ、2-0でなでしこたちが準決勝進出をきめた。
4月に神戸でたたかったブラジルとは“わけ”が違い、得点をいつ許してもおかしくはない時間がおおかったが、効率よく得点をかさねる。とくに1点目は、マリーシアがなかったこの国がみせた、最上級の“ずる賢さ”だった。ファウルでえたFKを澤がすばやくリスタート、ぬけ出した大儀見優季は決めるだけだった。
その後も、ゴール前にはりつけられる時間帯はつづく。守っても、守っても、紺色にピンクの一本線がはいったユニフォームにはわたらず、黄色のユニフォームにボールを拾われる苦しい時間はつづくが、大儀見の超人的なトラップから、チャンスは生まれる。
ワンタッチで黄色のユニフォームをかわすと、前線を走っていた大野にボールがわたる。相手GKのタイミングをずらした左足のシュートは、クロスバーの下をたたきながら、ゴールネットをゆらした。
正当で、カウンターのお手本のようなプレーだった。
なにかを義務づけられたアスリートほど、心身ともに堪(こた)える。あきらめても仕方ない時間帯がおおかったブラジル戦を無失点で守りきり、勝利した経験はこの上なくおおきい。
「釜本超え!」
今のなでしこたちなら、ほんとうに越えてしまうかもしれない。