宿命

2012 年 8 月 2 日

 柔道は変わった。一本勝ちこその「武道」が、有効、技ありといったポイントをつみ重ねて勝つ「競技」にすがたを変えたのは、ファンでなくともしる事実である。

 ロンドン五輪サッカー競技は、グループリーグ予選3戦を終え、男女ともに決勝トーナメント進出をはたした。前評判からここまで、期待はすっかり入れかわってしまった印象がつよい。大会前の日本でおこなわれた前哨戦から、グループリーグ2戦までをみると一目瞭然(りょうぜん)だろう。

 ニュージーランド戦は後半ロスタイムに同点弾を許し、渡英してから連勝をかさね、順調すぎる勝ち点6を手にした男子と、日本で快勝し、フランスに完敗、大会に入ってからも重苦しい勝ちあがり方だが、勝ち点4を手にした女子。両者のグループリーグ最終節は、ともにスコアレスドローという結果で勝ち点1を手にする。

 その勝ち点「1」のとり方に賛否両論ある。

 男子は、両者が準々決勝でブラジルとの対戦をさけるため、ホンジュラスと凌ぎをけずった。GK権田修一の働きがなければ、と思わせるシーンが続いたが勝ち点1をつみかさね、エジプトとの対戦をきめた。

 女子の勝ち点1のとり方に、おおくのファンが首をかしげる。強者にとって、グループリーグの第3戦とは、いくらでもやり方がかえられる。
 にがてな相手より、やりやすい相手を選べるのなら、かならず後者を選ぶはずだからだ。メディアにやさしく、正直すぎる監督は、暗黙の了解ともいっていい「かけひき」を口にしてしまった。極端ないい方を許してもらえるなら、イエローカードをもらった選手が『わざとやった』と言えば、問題になるが、そんな選手はまずいない。

 一挙手一投足が注目されるのは王者になった者の、宿命ともいえる。
 ブラジルが24年ぶりに優勝した1994年アメリカW杯、まっていたのは賞賛ではなく非難だった。『守備的な試合がおおかった』と、国民からは評価されなかったのだ。

 なぜならば、彼らは王者だから、である。

 なでしこたちが本気で金メダルを狙うのなら、どんな相手であろうとも、かならず倒さなければならない相手に変わりはない。王者とはいつの世も、したたかな戦い方、勝ち方をするものだ。

 1964年、東京五輪で柔道無差別級を制した瞬間、勝ったアントン・ヘーシンクは、喜んでかけよってくる仲間を手で制した。

 歓喜の瞬間ですら「礼に始まり礼に終わる」という精神を忘れなかったのだ。

 この精神は、柔道のみの精神では決してないはずだ。格下であろうと、なかろうと、相手への配慮をかんがえれば「ドローを狙った」とは決して言うべきではなかった。
 王者になって1年、王者としてのふるまいをこの機会に学んでいって欲しいものである。


コメントをどうぞ