最愛

2012 年 5 月 20 日

 「サルベニアの魔法使い」と愛された選手がいた。
 10年以上前の西ロンドンでの話である。ファンもチームも魔法使いが身につけた背番号25を愛し、その後25を背負う選手はいない。

 各チームに応援歌があり、試合の前後にファンは歌う。期待をこめ、ときに励まし、ときに涙を流しながら歌う。

 『どうして君達は歌わない・・』

 そう嘆いた指揮官もいた。リヴァプールFCに代表される“You’ll Never Walk Alone.”「君達は一人じゃない」とうたうその歌は、おおくのサッカーファンが知るところである。
 チェルシーFCは10年前に転換期をむかえ、チームの応援歌“Blue is the colour”をファンたちは突然うたう事をやめる。

 70年代、チェルシーは一部と二部を行きかう平凡なクラブだった。「ヘッドハンターズ」と悪名を轟かせたファンたちは、うっぷんを晴らすかのように相手サポーターへの襲撃を日常茶飯事におこない、ときにゲーム中でもピッチに乱入する。おおくは失業者で形成された鼻つまみたちは「病んだイギリス経済の象徴」とささやかれた。

 むかえた90年代、魔法使いの活躍もあり、強豪の仲間入りを果たすと、チームは最高潮をむかえる。リーグ優勝こそならなかったものの、26年ぶりとなるタイトルをチームもたらし、不遇の時代をすごしたファンたちは魔法使いを心から愛した。
 印象的なシーンを覚えている。
 魔法に興奮した“元”ヘッドハンターズであろう老人がピッチに転がり込む。魔法使いは手をさしのべ、抱き起こし、スタンドに戻したのだ。選手として愛されないわけがない。
 ひょっとしたら、ファンにとって一番よかった時期なのかもしれない。
 チーム史上、もっとも愛された英雄と入れ替わるように、ロシアの大富豪ロマン・アブラモビッチがチームを買収すると莫大なオイルマネーを駆使し、ジョゼ・モウリーニョを招聘し、選手を買い漁り、一夜にして欧州の強豪の仲間入りを果たす。

 アブラモビッチが湯水のごとく資金を投じても、「お金で愛は買えない」ようにファンたちは『俺たちのブルーは油で汚れた』と囁き、応援歌をうたう事をやめる。

 1905年創立以来、ときに憎まれ、ときに愛されたチームは2012年5月19日、悲願の欧州初制覇をとげた。
 魔法使いこと、ジャンフランコ・ゾラと共にチームに入団した、ロベルト・ディ・マッテオが暫定監督をした今季、ベテランの域に達したモウリーニョチルドレンと呼ばれるチームの屋台骨たちの活躍もあり、悲願をやってのけた。

 この日、主将をつとめたMFフランク・ランパードは若き日にゾラと共にピッチに立った選手の一人でもある。『もう一歩進めば、偉大なゾラに追いつける』と公言し、26を背負い続ける本来の主将DFジョン・テリーと共にビッグイヤーを掲げた瞬間、魔法使いは何を想ったか。
 ヘッドハンターズの末裔は勝利を喜び、涙を浮かべチームの旗をふり、ミュンヘンの空に“Blue is the colour”が反響(こだま)したのが、印象的な11-12欧州チャンピオンズリーグFINALであった。


コメントをどうぞ