追憶

2012 年 1 月 24 日

 横浜国際競技場の近隣に住んでいなかった者にとって、まわりに対象物のない巨大な建物を初めて目にした時、少しばかり異様に映ったのではないか。

 深い灰色で要塞を思わせる佇まいに感動し、初めて見た絨毯のようなピッチに目が止まり、見入り、会話を忘れたのをよく覚えている。
 例えトラックがあったとしても、そのピッチを包み込むように全席屋根付きのスタンド席は、雑誌の中だけに存在した、欧州のスタジアムそのものだった。
 日韓W杯前に「このスタジアムでW杯決勝戦が・・」と思い耽ったのも覚えている。

 何年経っても、初めて見た横浜国際競技場の記憶は色濃い。
 だが、ピッチに大きく「3」という数字が入った記憶はない。

 1月22日、松田直樹メモリアルゲームという形で氏を偲ぶ試合が行われ、引退した選手、現役を貫いている選手が集まった。
 皆が氏と深い交流があり、戦友と呼ぶに相応しいメンバーが集い、要所で高い技術を披露し、会場を沸かせた。
 こういった試合では得点が多く入り、盛り上がるのが常だが、1-0というロースコアで試合を終える。それぞれが魅せるプレーに徹する場面もあれば、本気を感じさせる部分もあり、個人的に飽きのこない試合展開であった。

 引退した選手のプレーを観る機会は限られている。限定された時間の中で現役時代を彷彿とさせる技術力は、観ていてただそれだけで価値があった。
 豪華なメンバーが純粋にサッカーというスポーツを楽しみ、そのさまを観戦した誰もが楽しみ、氏を偲んだのではないか。
 これだけのメンバーを集められる、松田直樹という一人のサッカー選手にただただ深い感銘を受けた。

 サッカー選手を引退し、文化人、アパレルブランドのデザイナーになる者がいる一方で、解説者、コーチとしてサッカーに携わる仕事を続けている者がいる。
 メンバーをみると高校サッカーの語り草になっている者、ドーハの悲劇を味わった者、マイアミの奇跡を起こした者、ジョホールバルの歓喜に酔いしれた者、そして日韓W杯を知る者がいた。
 日本サッカーが強くなっていった刻を彩った選手たちが一堂に会する機会は今後あるだろうか。恐らくもう来ないのではないか。

 試合後、発起人である安永聡太郎氏の挨拶の際、ノイズが入った。
 機材トラブルかどうかは解りかねるが、ああいった場面でノイズが入るのもまた初めての経験だった。安永氏は『直樹のイタズラです。こういう奴なんです』と笑ってみせたが、機会があれば霊能力者と呼ばれる方々に映像や音を分析して頂きたいものである。

 横浜国際競技場から日産スタジアムと名を変え、数えられない程の試合を観戦したが、機材トラブルは記憶にない。
 松田氏を知るものは口々に「サッカーを離れれば、少年のような男」と語る。
 少年のようなイタズラかもしれない機材トラブルも、また忘れないだろう。

 改めて、ご冥福お祈り致します。


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