手落ち

2011 年 11 月 16 日

 2005年、作家、村上龍氏がドイツW杯アジア最終予選、北朝鮮対日本を観戦した時のこと、近くで観戦していた北朝鮮サポーターに対し『リスペクトに欠ける』といった類のコメントを残したのをよく覚えている。
 自国がボールを持った際、どんな局面でも悲鳴に近い歓声をあげるさまを痛烈な皮肉を交え、そう語った。
 その試合はFIFAの制裁により無観客で行われたもので、仮に北朝鮮ホームならば世界に類を見ない究極の地の利を生かし、結果は違ったものになっていたかも知れなかった。

 村上龍氏の作品「半島を出よ」で『日本人を髪の毛の先から足の爪の先まで嫌う』といった一節がある。

 2011年11月15日、ブラジルW杯アジア3次予選が北朝鮮の平壌で行われ、0-1でザッケローニ監督就任後、初の黒星を喫した。
 22年ぶりに憎き日本を招いたこの日の北朝鮮からは未知の意地がみられた。

 「W杯進出を逃し、ホームで日本に負けたら、炭鉱送り」
 「象徴とも云える肖像画が飾られたピッチで負けるわけにはいかなかった」などの意地は容易に想像がつく。
 サッカーに限らず、試合に挑む前「負けたくない」という気持ちの継続は未知の強さを生む。世界でも2つとない、この国の場合「日本には負けたくない」といった気持ちの強さは平和な日本で育った我々には想像もつかないだろう。
 未知の意地が対日本だったからなのは言うまでもない。気持ち一つでここまでチームが強くなることを改めて教えられた1戦だった。

 サッカーの守備のやり方は昨今、変わりつつある。
 サッカーにおいて古くから「クリア」と「逃げ」は同義語であり、逃げともとれるプレーを現代でも嫌う。世界を席巻するチームは、どんな局面でも繋げるなら繋ぐ、といったスタイルでクラブシーンではバルサが、代表シーンではスペインが席巻している。小さなエリアでもボールを繋げられる高い技術と速い状況判断能力が同時に求められている。

 ボール支配率の高さがそのまま試合結果になることも珍しくはない。この日、日本のゴール前から繋げられるシーンが多々あった。平壌のピッチに立った選手にしか分かり得ない緊張があったとしても蹴り出すよりも、リスクを犯してでも繋ぐシーンが欲しかった。蹴り出したボールは相手に拾われ、最後まで“らしさ”が出て来なかったのは敗因の一つだろう。

 今野泰幸が試合後『情けない』と口にしていた。ザッケローニ政権下、不動の先発として不敗記録に貢献し続けた彼は、この1敗に何を思ったか。
 フィジカルで負けた事が、試合の負けに直結したとは彼も、誰もが考えてはいないのは明白で、今までベストメンバーでなくとも負けなかった、云わばツキが今年最後の試合で落ちた事実をザッケローニ監督はいかに受け入れるか。
 来年に向け、限られた招集期間で今回の敗戦を真摯に受け入れた戦い方を誰もが望んでいるだろう。代表戦に人気が集中する日本で「負けてもいい代表戦」など存在しない。

 収穫といえば世界に類を見ない究極のアウェイを体験できた事くらいだろう。
 だからこそ、負けてはならなかった。

 守備を重んずるイタリア人指揮官なら尚更である。


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