監督力

2011 年 7 月 14 日

 サッカーゲーム好きの者は誰もが日本を選び、仮想ワールドカップを勝ち抜き優勝を成し遂げた経験をお持ちだと思う。
 勝ち抜き、優勝を決めた瞬間に思うのは「いつかは」といった妄想、そしておとぎ話を創り上げる。そして能力差が否めない為、負けた際にリセットし勝つまで何度も試合をした経験をお持ちだと思う。
 
 FIFA主催の大会で遂に日本が決勝進出を決めた。
 仮定ではなく、おとぎ話でもなく、現実にそれは訪れた。

 7月13日、ガンバユース最高傑作と呼ばれる宇佐美貴史が1ゴール1アシストという素晴らしい置き土産をチームに残し、日本ラストゲームを勝利で飾った。
 海外に旅立つ若き才能が見せた活躍にファンのみならず、多くの日本人が確信に近い感情を抱いたと思う。
 「宇佐美ならやってくれる」という前向きな者と「同じポジションにリベリにロッペンがいるから」といった後ろ向きな者とに分かれる。
 サッカーに限らず、スポーツの世界では先発と控えとで選手が括られる。光と闇と言い換えても過言ではない。
 ユース出身者にこんな話を聞いた事がある。
 『先発を外れた時点で「君はもういらないよ」って告げられた様なものですからね』と。
 残酷ではあるが、世の全てに当て嵌まる弱肉強食の全てが集約されたコメントである。

 監督の好みも勿論含まれるが先発を外された時点で云わば死刑宣告に近い感覚を多くは抱くのだという。
 比べ、ユースチームに席を置かない高校生はというと、例え先発を外されたとしても「仲間の為に」といった感情を多くが抱く。例え自分が先発で出場出来なくても自己犠牲の精神でその後のチームを支える。
 その後の過ごし方、弱肉強食の末に見る己自身の心の持ち方は個人によって様々だが、重要なのはサッカーに対する思い入れ、が今後の人生すら左右するものだと私は考えている。
 それはサッカーに限らず、残酷な言い方を許して貰えるのなら何事も中途半端な思い入れは中途半端なその後しか約束されてはいないものだと私は考えている。

 初志貫徹という四字熟語がここまで似合うチームもそういないだろう。

 大会前、チームが「メダル」という志を抱き、貫き、徹した姿勢が優勝候補ドイツに勝利し、スウェーデンに勝利し贈られた賜物がメダルなのだと私は考えている。
 スウェーデンと比べ、日程的に有利だったのは言うまでもない。不用意な形で先制点を許したが、自分達の攻撃を信じ、逆転した姿勢に強き者の在り方を改めて教えられた。
 テレビ越しでも分かる体格差に動じず、自分達の形を信じ、追いつき試合をひっくり返せる力は男女問わず今後の日本サッカー界の指針にしなければならない。

 試合後の会見に訪れた佐々木則夫監督の光景に私は驚きを隠せないでいた。
 目の下のくまが痛々しかった。
 準決勝という舞台で長年、攻撃の中心であった永里 優季を先発から外し初の先発として送り出した川澄 奈穂美が2得点と最高の結果を出したが、監督という視点から見るとギャンブルに近い。
 結果さえ残せば名将だが、残さなければ戦犯扱いは免れない。その危険なギャンブルに勝ち、後半29分から永里を出場させる配慮も忘れない姿勢。試合終盤には未だ大会に出場していない選手達をピッチに送り出す姿勢に監督の能力として必要不可欠である人心掌握術という手腕を垣間見た。
 大会中、暗闇にいたであろう選手に出場機会という光を与えられる監督は広い世界を見渡してもそういない。

 普段、慎重な言葉選びをする佐々木監督が試合後の会見では苦悩から開放された安堵感からか明らかにハイテンションであった。くまを携えながら笑う佐々木監督に「勝って欲しい」という純粋な念を抱くのは決して私だけではないだろう。

 日本サッカー界にとって前人未到の地に1歩、そしてまた1歩、歩み続けるなでしこジャパン。
 決勝戦という舞台で相まみえる相手はFIFAランキング1位のアメリカである。
 今年5月に渡米し、アメリカと2連戦を行った。結果は共に0-2と敗れてしまったのだが日本にとってはアウェイでの試合であり、今回は中立地、そして最高の舞台で行われる。
 安っぽい言葉で言うのならリベンジを果たすに絶好の機会に思う。

 無論、現実社会にテレビゲームの様にリセットボタンなど存在しない。
 だが、おとぎ話の様な、前人未到の旅の末に後世まで語り継がれるであろう金字塔を打ち立てて欲しい。
 人間味のある監督に率いられたなでしこ達に、その力は十二分にある。

 少なくとも私はそう思う。


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