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興味

2012 年 12 月 28 日

 2012年が暮れようとしている。

 年が明ければ正月ならではのイベントが待つ。昨今のランニングブームも手伝い、年明け早々におこなわれる箱根駅伝はもちろんニューイヤー駅伝にも注目があつまる。

 その理由の一つとして箱根駅伝で注目をあつめ、それそのものを4年間にぎわした元・東洋大学の柏原竜二選手が実業団の一員としてむかえるニューイヤー駅伝初舞台でもあるからだ。

 世間から「山の神」と賞賛されようとも、本人はそれを拒む。たとえ箱根駅伝を4年連続で往路優勝を決めるゴールテープを切り、4回中、3回も区間記録を更新した当事者であったとしても。

 分からないでもない、彼はそれと同等の成績をのこしている。在学中に日本代表として、世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m7位、ユニバーシアード10000m8位など活躍したことに触れようともしない部分が本人は解せないという。

 残酷ではあるが、風物詩とされるスポーツに注目が集まりやすい傾向が日本にはある。高校野球は夏であり、高校サッカー、大学駅伝は正月、という認識。たしかに総決算の大会でもあるが、その過程や歴史に熱狂できるのは限られたファンのものでしかないのが実情だろう。

 おおきな大会のみをいえば高校野球には春の選抜があり、高校サッカーは夏のインターハイがあり、大学駅伝には秋におおきな大会が2つもある。

 高校生、大学生という限られた時間のなかでおこなうスポーツは数多くあり、その3年間、4年間だからこそ生まれる涙や情緒(じょうちょ)こそおおくの共感をよび、ファンをつくり、感動をよぶ。

 柏原は箱根駅伝の山登り5区を4年連続でまかされ、おおくを背負い、圧倒的な走りをする姿に新たな駅伝ファンをつくったのは疑いようのない事実でもある。

 柏原以前のこの区間は元・順天堂大学の今井正人選手が注目をあつめていた。4年生になった今井がゴールテープを切るとき『山の神ここに降臨、その名は今井正人』というアナウンスを覚えているかたも多いのではないか。

 今井が去った箱根駅伝という大会を柏原が事実上けんいんした。

 正月には実業団の駅伝があり、箱根駅伝があり、高校サッカー選手権大会がある。そして、2019年にラグビーW杯日本開催をひかえ、その主力を担うであろう大学ラグビー選手権大会もおこなわれる。

 今井が去った箱根駅伝を柏原がけんいんしたように、あらゆる大会で“スターのたすき”を脈々と受け継いでいくことこそ大会を盛り上げる鍵となる。

 そして、新しいスター誕生にこそ、スポーツの醍醐味があるといっても過言ではない。楽しみは大会の人気をたすけ、その将来をあかるくする。新たなスターを語り草にしていくのもスポーツの楽しみかたの一つでもある。


引退

2012 年 12 月 9 日

 誰もが知る引退の言葉がある。
 ファンはもちろん、時に国民のほとんどが記憶するものだ。たとえばプロ野球の場合、読売巨人軍の終身名誉監督であられる長嶋茂雄氏の『わが巨人軍は永久に不滅です』は、知らない人を探すのに困るだろう。同じくらいに有名な一つに58代横綱・千代の富士貢氏の『体力の限界』がある。

 前者は戦前から存在する歴史あるチームを牽引し、一時代“後”のこれからを生きる後輩たちへのエールとも取ることができる。後者もまた、他を寄せつけない絶対的な勝負強さから角界の一時代を築き、ウルフの愛称で国民から愛された。

 両者の引退は全盛期を知るファン、歴史を知った人たちによって愛され、ときに誇張されその強さは守られている。

 抱腹絶倒まではいかないが、サッカー選手としてもっとも熱く、愉快な人だった。その存在を知ったのは1993年ドーハの悲劇でしられるアジア最終予選、その熱さはイラン戦が思い出される。

 前年にアジア王者となった日本代表は研究し尽くされていた。第1節サウジアラビア戦を0-0で終える。第2節イラン戦は前半44分に失点、1点を追う展開で後半28分にDF三浦泰年を下げ、投入されたFWがいた。名前はゴン中山こと中山雅史。

 前がかりになった日本は後半40分に痛恨の失点。万策尽き、うなだれた3分後、歓喜というより叱咤激励にちかい得点を角度のない場所から中山が決める。諦めていたら生まれなかった、諦めなかったからこその生まれた得点だった。

 その得点後にボールを抱え、ダッシュでセンターサークルまで戻り、その中央に叩きつけるように置いた。1秒でもはやく試合再開を促すがイランには1-2で敗れた。その後、北朝鮮、韓国に連勝したのちのイラク戦で悲劇は生まれ、同氏が泣き崩れるシーンは誰もが知っている情景になった。

 帰国後、ドーハで共に戦い、同郷の澤登正朗に対し『少しチョーシに乗ってるからちょっと小突いてきますよ』と言い、現在では放送されないであろう“じゃれ合い”もあった。
 代表戦では、盟友、カズこと三浦知良のユニフォームを下に着こみ、得点後にカズの番号を指にした時もあった。
 ジュビロ磐田の前身であるヤマハ発動機の頃からチームを支え、数多くのタイトルをもたらした。チームを去るとき、一向に帰らないファンの元へ歩みより『ジュビロと戦うときは頑張っちゃうかも』と笑いをとった時もあった。

 J1において通算157点、1シーズン36得点、FWらしい歴代1位となる記録をいくつも残し、特筆すべきはW杯において日本人初得点を記録した。

 その選手が先日引退を決めた。『未練たらたらです』ゴン中山らしい引退の言葉もまた後世までファンによって語り継がれ、守られてゆくだろう。


反映

2012 年 11 月 6 日

 ファンは、スポーツの喜怒哀楽をよく知っている。

 人によっては場面や出来事をこと細かにおぼえており、嬉しかったこと、悔しかったこと、そういった感情の起伏こそファンをよりいっそうの虜(とりこ)にする。ファンからみた場合、前者は快楽に浸り、後者は恨みすら覚えるものだ。

 11月1日、札幌ドームで行われたプロ野球・日本シリーズは、2勝2敗の五分でむかえた第5戦で「世紀の大誤審」とよばれる出来事があった。

 四回、無死一塁で日本ハム・多田野数人投手がバントの構えをした巨人・加藤健選手の頭部ちかくに140キロ近いストレートを投じ、加藤選手は避けようと後方に倒れ込んだ。

 中継映像、リプレー映像を見る限りは頭部死球ではないようにも見えたが、審判は危険球とし退場を宣告した。日本ハム・栗山英樹監督の猛抗議も実らず、判定は変わることはなかった。

 疑惑の場面について栗山監督は『バントにいっていたのでストライク、空振りでしょ』と主張する一方、苦痛に顔をゆがめて倒れ込んだ加藤選手、心配した表情でベンチを飛び出してきた巨人・原辰徳監督。そうした行為も審判の心を揺れ動かすのに十分すぎるものだったに違いない。

 日本ハムの選手たちは『ヘルメットに当たった音じゃなかった』、『審判は最初、ファウルと言っていたが原監督が出てきてから判定が変わった』と言い、危険球退場となった多田野投手は『だます方もだます方。だまされる方もだまされる方』と吐き捨てた。

 五回、だましたとされる加藤選手が打席に立つと大ブーイングを受けるなか、2点を追加するヒットを放つ“結果”を残したことも忘れてはならない。

 九回にも2失点を追加された試合は2-10というスコアで終える。この結果により巨人が3勝2敗で王手をかけ、6戦目も4-3で勝利した巨人は4勝2敗で日本シリーズを制し、3年ぶり22度目の日本一となった。

 野球には興味がなく、日本シリーズをニュースでしか見なかった者からすれば、誤審は事件のように扱われ、それによって日本ハムは敗れた、と映る。また、両者のファンではなく“野球ファン”から見た場合、誤審があってもなくても巨人が勝っていた、とも映る。

 だが、ファンから見た場合、結果は喜びか悲しみでしかない。残酷な言い方を許してもらえるなら、喜んだ側は誤審そのものを忘れるが、悲しんだ側は日本一になるまで忘れないだろう。

 一方で、誤審もスポーツの一部だという者もいる。

 試合を行えば勝者と敗者という残酷な結果を作り、人間が裁く以上、誤審は起こってしまうものだ。くだされた裁きに憎しみを覚える者の気持ちは分からないでもない。
 だが、その先にあるチームの勝利に笑えるのもファンの特権でもある。


伊太利亜

2012 年 2 月 19 日














百聞は一見にしかず

よく言ったものである。
来てみなければ分からない。
行って体感しなければ知り得ることが出来ない事実がある。

格安チケットを手にコペンハーゲン経由でミラノに到着した。
マルペンサ空港に到着すると気持ちは平気なのだが、疲れの為か目が霞む。電光掲示板の文字は大きく見え、目を細めなければよく見えない。
機内でお酒を飲んだこともあるのだが、仮眠はしたものの起床時間から数え24時間以上、起きていた事になっていた。

空港からはミラノ中央駅行きのバスがあり、乗り込む。
うまく行けばこの日ジュゼッペ・メアッツァで行わるインテル戦に間に合う、と考えていた。
空港にも、バス停にも日本人は見当たらず、薄暗い車内は萎縮させるに十分な暗さがあった。危機管理能力を十分に発揮させなければならないその場所で、あろうことか寝てしまう。

車内が慌ただしくなり目を覚ますと目的地に到着していて他の乗客は荷物を下ろしている。少し自分を褒めてあげたいのは荷物を抱えて寝ていた事くらいだろう。
東京・日本橋にある三越本店の向かいにある建物を10倍位の大きくした建物が中央駅で第二次大戦後のイタリアで、当時首相ムッソリーニが吊るし上げにされたその場所だ。
建物に見入っていると大きな時計があり、時間を知らされる。試合開始を大きく過ぎ、思い返してみるとバスが渋滞にはまったところまでは覚えている。

仕方なくテレビのあるカフェでインテル戦を観戦したのだが、チームになりきれていないインテルがいいところなくボローニャに0-3で敗れてしまう。時折、長友佑都はチームを助けるオーバーラップをみせるが噛み合わない。

驚いた事があった。この日はフィレンツェでフィオレンティーナとナポリの試合があり、同時中継されていた。一連のプレーが切れる度に『ミラノ』、『フィレンツェ』といったMCが入り、中継が切り替わる。
日本では考えられない番組構成なのだが観ている者を飽きさせないやり方だった。Jリーグでも最終節に時折みかけるが、このやり方はあって良い気もする。

部屋に戻り、ネット接続を試みるもうまく繋がらない。フロントに聞いてみるもあまりよく分かっていないようだった。
日本で安いホテルに泊まった場合、ネット環境が整い、スリッパがあり、寝衣まで用意されている。むしろ当然のオプションだ。
日本人の当たり前が当たり前でなくなる場所が外国なのだ。

明日はトリノへ行く。


指標

2012 年 2 月 11 日

 スポーツの世界における才能とは。

 心技体の充実は勿論だが、挙げ出したらキリがない程に競技によって適した才能も違う。

 先日、昨夏に海外移籍をしたが出場機会に恵まれない、とあるサッカー選手が語った『正直に言うと残りたくない。もっと出場できて、大事な役割を任されるチームがあればそこに移籍したいと思う』というコメントを目にした。
 世界指折りのビッククラブに移籍した日本人が発したもので、ご存知の方も多いと思う。
 賛否両論はあっていい。「在籍しているだけで意味がある」といった意見がある一方で、「泣き事を言うな」と、辛らつな意見も聞く。個人的に「もっと出場できて、大事な役割を任されるチームがあればそこに移籍したい」という部分は腑に落ちない。

 チーム史上最高傑作と呼ばれた選手が語る言葉に元チーム関係者も「世界」を知ったのか、「落胆」を覚えたのか。機会を作って聞いてみたい。
 落胆を覚えたのならば、彼にあったものとなかったものを分析し、次世代に受け継いでいくべき課題ととらえてもよいのではないか。

 そもそも移籍前に出場できるか、否かは世界最高峰に厳しいのは分かっていた筈で、大事な役割を任されるか、否かは本人次第な部分が大きい。

 20歳にも満たない選手の、一コメントに揚げ足を取るような事をしたが、移籍前の初心を忘れている気がしてならない。
 いささか風当りが強いニュースだが、才能を持たされた選手は必ず通らなければならない道であり、壁でもある。その壁を乗り越えた先にしか移籍の際、口にしたバロンドールがないのも事実である。
 何のために海外移籍を果たしたのか。
 指標なき願望こそ時間の浪費である。

 『しあわせの隠れ場所』というアメリカ映画がある。スラム街で育った身寄りのない黒人少年が、心あるアメリカ人家族に引き取られ、アメリカンフットボールというスポーツに出会う話で、実話を基にした作品である。
 恵まれた体躯を武器にアメリカンフットボールの常識を覆す存在になっていく。詳しいルールは分からなくとも、劇中でこの選手がいかに凄いかは分かる筈だ。
 この選手の場合だが、血の繋がりはなくとも家族を想う気持ちが行動を変え、プレーまでも変えていく様が描かれている。
 現在も、生まれ持った才能を開花させ、人々に夢や希望を与え続けている。

 どのプロスポーツ選手も何のためにプロ選手として、その競技を勤しみ、ファンに何を伝えるか。

 日本サッカー界の象徴で、生ける伝説となりつつあるKING KAZUこと三浦知良の泣き言を目に、耳にした事はあるだろうか。誰もが知る不運にも見舞われ、サッカー選手としての夢の場には恵まれなかった選手である。

 才能を持たされた者は時として残酷な局面を体感する。
 与えられしその局面をどう乗り切るか。言い訳で逃げるか、プレーで覆すか。
 無論、KAZUは言い訳などしない。