‘baseball’

特徴

2015 年 8 月 11 日

 幾多のスターを生んできた夏の甲子園が100周年をむかえた。大正4年に産声をあげた大会は100周年をむかえ、記念大会として今大会は野球界のレジェンド王貞治氏が始球式を行った。

 そのレジェンドの母校の西東京代表・早稲田実業高校も1年生ながら注目をあつめる大物スラッガー清宮幸太郎選手の活躍で5年ぶりに甲子園出場を決め、5年ぶりに初戦を突破するなど見えない糸に導かれるように記念大会は進んでいる。

 東アジアカップ2015は最終戦をむかえ、中国に1-1で引き分け大会連覇を目指していた日本は2003年に産声をあげた大会開催以降初の最下位で大会を終えた。

 ヴァヒド・ハリルホジッチが日本代表監督に就任してから全試合にするFW宇佐美貴史は自身の非力さを吐露(とろ)するなど悔しさをにじませる。

 日本代表監督は「言い訳報道」に激昂(げきこう)し、それを否定したうえで「時間が必要」と訴えるが、同条件でアルベルト・ザッケローニ前監督は戦い、大会を制覇している。勝てば官軍負ければ賊軍ではないが、どれも「言い訳」に聞こえなくもないのが現状だ。

 前大会で活躍が光ったFW柿谷曜一朗にしても、FW齋藤学にしても得意のポジションを任せ、結果にむすびつけた。この大会、チーム最多得点を記録したMF武藤雄樹はJリーグの活躍同様に相手を外しかたの巧さが光った。Jリーグでも、日本代表同様の形で計9得点を記録している。

 選手の特徴を活かせたのか、については疑問がのこるのが現状だろう。

 FW永井謙佑の俊足を生かしたいのなら、ロンドン五輪のようにワントップでの起用法もあったはずだし、MF柴崎岳の才能を伸ばしたいのなら出場時間を増やすことも試せたはずだ。

 それでも要所で光る選手もいた。新戦力DF遠藤航は全試合先発フル出場を果たし、韓国戦で得点を記録したMF山口螢の守備力もチームを助け、もっと試してほしいと思わせる選手も少なくなかった。

 東アジアカップを最下位で終えたことは一番弱い国を意味し、アジアカップも連覇をのがしたことを併せると、日本がとうとうアジアの盟主の座からの陥落(かんらく)を意味するだろう。

 これからは厳しい目が必要ではないだろうか。

 東アジアカップ2015は、日本代表戦であっても「やってたの?」といった声が残念ながら聞かれた。どの競技でも関心を惹くために必要不可欠な要素はスターの出現か、厳しい目のはずだ。

 日本代表戦とちがい、甲子園をいくら応援しても「にわか」とは呼ばれない。選手たちのひたむきさがテレビ越しにでも伝わってくるからだろうし、「県民性」という関心、選手たちには理不尽なほどの「高校生らしさ」を求める厳しい目がある。重圧に耐えきれない選手が残れないのは常だろう。


謙遜

2014 年 8 月 22 日

 全国の高校野球児が日本一を目指す、全国高等学校野球選手権大会いわゆる甲子園の熱戦が続いている。

 前回大会初優勝に導いた群馬県・前橋育英高校の高橋光成投手、愛媛県・済美高校の安楽智大投手、前回選抜優勝に導いた埼玉県・浦和学院の小島和哉投手、といったプロ注目の選手たちが地区予選で敗退するなど、大会前から波乱を予感させてはいた。

 台風直撃によって54年ぶりに開会式が順延されると、2日連続の全試合中止を招き、こちらは96回続く同大会において史上初の“記録”を樹立した。

 延期されていた開会式直後におこなわれた1日目の第1戦では今年の選抜覇者、京都府・龍谷大平安高校が埼玉県・春日部共栄高校に1−5で敗れると、この勝者も2回戦では福井県・敦賀気比高校に1−10の大敗を喫し、大会を去った。

 絶対的な優勝候補もなく候補と目された強豪も次々と敗れている。1点、2点をあらそう僅差の試合もおおく、高校野球ファンを喜ばせているのが今大会の特徴の一つだろう。

 野球ファンの中で、野球全般をみるファンもいれば「甲子園はみるがプロ野球は見ない」という者がいる。「甲子園だけは見る」という者がいるなか「プロ野球はみるが甲子園はみない」という意見はほぼ聞かない。

 甲子園がなぜこれほどまでに愛されるかは諸説あるが、開催時期中がお盆休みと重なるため同郷の後輩たちに想いを馳せたり、また攻守の交代が素早いことなどの清々しさが挙げられる。なかでも審判の下した判定に抗議をする選手もなく、謙虚に受け答えする監督もまた好感をもたれる要因だろう。

 「突破のチャンスは4%」

 20日、欧州チャンピオンズリーグ予選リーグ1st legが各地で行われ、ブラジルW杯日本代表GK川島永嗣が所属するスタンダール・リエージュはゼニトにホームで0−1で敗れた。敗戦の将となったガイ・ルゾン監督は前途のコメントを残した。

 翌週おこなわれる2nd legでは2−0以上の勝利が本戦出場への絶対条件だが、たとえリップサービスだとしても勝率を一桁と公言してしまうと謙虚をこえ、言われた選手たちが気の毒でならない。ひいき目にみてもゼニト有利だが、やってみなければ分からないのがスポーツの醍醐味である。

 高校野球の世界は変わりつつある。

 初戦を突破した監督は昔から変わらず敗者を尊重するコメントで称えるが、生徒たちはその時点で「優勝」を公言するようになった。優勝を目指すことは決して悪いことではない。むしろ出場する49校すべてが目指すべき目標である。

 教育とスポーツを同じ観点でみることは「日本の悪しき習慣」ともいわれているが、教育が行き届いている選手ほど敗者を称え、仲間に感謝をのべているのは見逃せない事実だろう。


終焉

2013 年 12 月 31 日

 今季限りで現役引退を決めた選手たちがいる。マリアノ・リベラもその一人だ。

 世界一有名なプロ野球球団であるニューヨーク・ヤンキース一筋を貫いた投手は、歴代1位となる652セーブという前人未到の大記録を打ちたて、MLB(米メジャーリーグ)最後の背番号42を背負った投手は今季限りでの現役引退を表明した。

 言わずと知れた「カットボール」の生みの親は、試合を締める“クローザー”としてマウンドに上がり、投球のほぼ全てをこの魔球に任せ、「一種類の球種しか投げないピッチャー」だとバッターが分かっていたとしても落差のあるボールを攻略できた者は少なく、たとえ当たってもバットをへし折ってきた。

 偉大なクローザーの現役引退と示し合わせたように、「42 ~世界を変えた男~」という映画が公開された。黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの差別や偏見、脅迫と戦った壮絶なプロ野球人生の映画化には世界中で賞賛の声を集めた。

 現在でもMLBの新人王にあたるルーキー・オブ・ザ・イヤーには「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名が付けられている。また、メジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日は彼の背負った「42」が全球団共通の永久欠番となった。

 のちに「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定され、希望する選手がその背番号で試合に出場し、近年ではMLB全ての選手が年に一度「42」を着用するその日になっている。

 2013年、平和を愛し、差別と戦った南アフリカ共和国の“巨人”が壮絶な生涯を終えた。

 若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、国家反逆罪で終身刑の判決を受けるが世界中の“声”に折れた当時の大統領が遂に釈放を決意する。27年間に及ぶ獄中生活の後に大統領になる。全民族融和を掲げ、スポーツの分野においても1995年ラグビーW杯と2010年サッカーW杯の招致を熱望し、成功させたネルソン・マンデラその人である。

 享年95歳。

 釈放から5年後、自国開催のラグビーW杯では練習場や試合会場に姿を現しチームを鼓舞し続けた。そもそもこの国ではラグビーこそアパルトヘイトの象徴だった。白人は自国を黒人は敵チームを応援した。

 それでもマンデラはスポーツの持つ“力”を信じ、ラグビーこそ自身が掲げた全民族融和への近道だと信じた。不可能とされた初優勝を可能にしたのは、一つの国家となった国民の応援と決して無関係ではない。

 また『平和を求めるならたとえ敵でも協力すべきだ、そうすれば敵でも仲間になる』という言葉を残した。囚人から大統領になっても聡明さを失わず、閣僚人事ではアパルトヘイト推進派を選出している。

 2013年、現役引退を決めた多くのアスリートがいて、世界を変えた一人の英雄がこの世を去った。


底力

2013 年 11 月 9 日

 2011年、嶋基宏捕手は『絶対に見せましょう。東北の底力を』と日本製紙クリネックススタジアム宮城の大観衆の前で宣言した。

 あれから2年。

 リーグ制覇はあっても、日本一に無縁だった男がホームスタジアムで宙に舞った。熱い魂を前面にだすことで知られる野球人、星野仙一が日本一に輝いた。

 12球団で最も過酷な状況にあった“新参者”の東北楽天ゴールデンイーグルスは2005年の創設当初、首位と51ゲームは開いた。そのチームがたった9年間で日本一になれた要因は、意識改革だと星野監督はふり返っている。

 2011年から率いたその年を5位で終え、翌年4位だったチームに『底力を見せてないじゃないか』、『もっと勝負にこだわれ』と2年間言い続けたという。

 中日ドラゴンズ、阪神タイガースといった熱いファンを持つ球団を率いた過去から、ファンから野次のないチームを不憫(びん)に感じていた。

 8月下旬に5連敗し、2位の千葉ロッテマリーンズとのゲーム差を2.5ゲームまで縮められてしまう。

 その夜、いつものようにコーチと選手たちだけで行われていたミーティングの場に突如、監督が姿を表す。激しい叱責(しっせき)を覚悟していた選手たちに『人生には浮き沈みがある。それと一緒。お前ら良い経験をしている。自分たちの野球をやれよ』と、問いかけにも似た言葉を贈ったという。

 調子を落としていた選手たちにも長嶋茂雄氏や王貞治氏を例にあげ、『彼らでも落ちていた時期はあった。それでも愉しくやっていたよ』と諭(さと)した。

 そのミーティングを機にチームは息を吹き返し、その後リーグ優勝まで突き進んだ。

 投手陣の奮闘も光った。特筆すべきは田中将大投手にあり、得点圏にランナーを背負った時、通常146,6キロのストレートより2,6キロ上がる149,2キロを叩き出し、バッターをねじ伏せてきた。また、野球界の伝説として語り継がれている(故)稲尾和久投手の20連勝を超える24連勝を記録した田中将大投手なしに日本一は語れないだろう。

 アメリカ野球界ではボストン・レッドソックスが95年ぶりとなるホームスタジアムでの世界一を決めた。この名門もまた今年4月のテロ事件を機にチームが一つになった。

 彼らはファンたちに誓った「底力」を確かにみせた。東北を、ボストンを、背負って戦い栄冠に輝いた。

 今年8月、2011年以来となる東北開催でサッカー日本代表はウルグアイと戦い、2-4で完敗したのは記憶に新しい。

 『日本は戦ってない』。

 この言葉は、試合を欠場したDF長友佑都が元チームメイトFWディエゴ・フォルランからの助言だった。来たる欧州遠征2連戦。オランダ、ベルギーといった強豪にどう立ち向かうのか。

 気概(がい)を感じるサッカー日本代表を期待したい。


失策

2013 年 8 月 29 日

 8月30日から9月8日にかけて台湾で開催される第26回IBAF(国際野球連盟)18歳以下のW杯に出場する日本代表は、95回甲子園で活躍した選手たちで名を連ねるなか出場していない松井裕樹投手も選出され“エース”として注目を集めている。

 昨年の94回全国高等学校野球選手権大会、一試合で22奪三振を記録し、87年ぶりに大会記録をも更新した松井は95回大会、甲子園のマウンドに立つことは許されなかった。

 名門・横浜高校との神奈川県大会準々決勝、松井を擁(よう)した桐光学園は敗れている。七回表に2-1と勝ち越したその裏、一塁手と二塁手が“お見合い”する不運なかたちでランナーを出してしまう。

 誰でも表情を曇らせるシーンだ。

 次のバッターこそ相手のミスにより幸運な形で打ちとれたが、次のバッターには高めに浮いた初球をスタンドまで運ばれ逆転の2ランホームラン、3-2と逆転されてしまう。

 その後を無失点におさえ、8回裏こそ三者三振で終えたが最後まで1点が遠かった。結果的に仲間のミスが生んだ動揺は表情にも表れ、試合を決める結果にもなってしまった。

 注目され、確かな実力がありながらも甲子園の土を踏めない選手は珍しくはない。たとえば現在、日本ハムファイターズの大谷翔平は3年時、“夏の甲子園”を経験していない。それでもプロ入り後、投手と打者の「二刀流」の選手として球界を代表する選手になった。

 彼もまた、松井と異なる“不運”で甲子園を逃している。不運は、ファールボールが本塁打と判断されてしまうものだった。試合を行えばアクシデントは必ずと言っていいほどある。それらのミスがたとえあったとしても、動揺を最小限におさえ勝ちきれる選手を誰もが望むものだが少ない。

 訪れるピンチやミスをいかに乗り越えるか。そのことはチーム、または個人の強さに不思議なほど反映し、またどのスポーツ界にも共通する事柄なのではないか。

 失点の多さから守備の崩壊がさけばれているサッカー日本代表だが、不運とはとても言い難(がた)いミスが重なり、自信までも失いかけている印象が色濃い。

 先のウルグアイ代表戦。失点された直後のシーンをふり返ると日本代表選手たちが見せた表情は、失点された悔しさよりも露骨(ろこつ)なほどの落胆(らくたん)の色であり、17歳の松井が、18歳だった大谷がみせた表情とは全くの別物だった。

 松井は逆転を許した8回表、先頭打者として三塁打を放っている。ミスをした選手がヒットを打てばドラマだが、現実はホームベースを踏むことはなく“松井の夏”は終わりをむかえた。
 ミスをした選手が、いかにチームの勝利に貢献するか。そのことに目を向けると、スポーツの楽しみ方も深みを増すことだろう。